ひだまり日記

2月号:大人が見本を示さないと

犬の糞を踏んでしまった小学生がそれが原因でいじめにあってしまうと聞きました。
やりきれない思いを感じる出来事が身の回りで立て続けに起き、新聞やテレビのニュースは見たくなくないほどいやな事件が山ほど…。このところ筆者は落ち込んでいます。

「自分がされて嫌だと思うことは人にしない。自分が言われて嫌だと思うことは人に言わない」小さい頃からこの言葉を言われて育ちました。皆さんもそうだったのではありませんか?

私は子供の頃、おせっかいが過ぎて意地悪な子でした。大人になってからも人の心を傷つけたことがたくさんあったと思います。汗顔の至りです。だから偉そうなことはもちろん言えません。でも、誰もが皆「前出の言葉」を心にとめていたなら、街中で起きる「ささいな」でも「人の心をささくれ立たせてしまう」トラブルの多くが解決するように思うのです。

犬の糞を自分が踏んでしまった時に「やった!ウンがついた!」と冗談のように喜べる方が何人いるでしょうか?ほとんどの方が嫌な気分になり顔の見えない飼い主と犬に対して怒りを覚えるでしょう。糞をそのままにして帰ってしまった飼い主さん本人だってそんな経験をしているはず。野良犬がほとんどいなくなった今の時代、飼い犬の落し物であることは明らかです。(ネコは柔らかい土や砂の上を好むのでアスファルトの上にはまずしません)。

糞をとることなんて造作の無いことなのに始末しないというのはどういうことなのか、理解できません。ご自分の子供さんやお孫さんが「こいつ、犬の糞を踏んだ!キッタネー!」と言われていじめられたとしたら、どうします?それでも平気で片付けずに帰るのだとしたら本当に犬が好きなのではないでしょう。飼う権利なんてないです!!人の心をもっているなんて思えないです。

福祉教育などと大々的なテーマが学校教育のカリキュラムに取り入れられています。やらないよりは良いかも知れないけれど、1年に数回無理やり特定の障害について取り上げることがどれほど意味があるのだろうと思います。そんなことより「自分がされて嫌だと思うことは人にしない。自分が言われて嫌だと思うことは人に言わない」ことを教えるほうがよっぽど大切なように思います。

そしてそれは学校だけがやることではないです。むしろ、家庭や地域社会で大人たちが言葉とともに実践してみせることが一番の教育でしょう。

狭い通りで傘を差した子どもが家の塀にへばり付くようにして避けてくれているのに、ありがとうの一言さえ言わずに水しぶきをあげて走り去る車の運転者がいるようでは…。犬の糞をとりもしない大人がいるようでは…。無灯火で子供の脇をギリギリにすり抜けていく大人がいるようでは…。温かい心を持った子供が育つわけが無いじゃないですか。

大人たちが今しなければいけないことは「人としての心を取り戻すこと」なのではないかと思います。大人の心は疲れて、ささくれだっているのです。「癒し」という言葉が流行るのもそのためでしょう。前回のひだまり日記に書いた文章「今は天国におられるであろうお母様のお腹の中に帰っていく」を評価してくださった方が何人か居られました。

人は皆「優しく受け止めてもらいたい・柔らかさに包まれたい」と思います。でも実生活の中で誰が誰をどのように受け止めてくれるのでしょうか。それが満足できないから心が癒されずにささくれてしまい、人に対しての思いやりを持つ余裕がなくなってしまうのでしょう。

心にゆとりを持てている人が少しづつ少しづつ周りに「柔らかさ」を分けていってください。その柔らかさが人から人に伝わっていって一人でも多くの人のささくれが治っていったら…。きっとやさしい町に変われると信じています。

今回のひだまり日記は少し変でしたね。ごめんなさい。次回はもう少し元気でお目にかかります。

(ひだまり日記 2005年2月号掲載分)
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# by hidamari-blog | 2005-02-28 14:54 | 子どもたち

1月号:出来る事を数えてください

12年程前になりましたが、息子の小学校で福祉講演会がありました。そのときの講師は
「牧口 一二さん」というポリオ(小児麻痺)のため松葉杖をついて歩いておられる方です。(教育テレビ「きらっと生きる」という番組に出ておられます)

「僕はこれから新幹線に乗って帰ります。もしその列車が脱線・横転して乗客がたくさん怪我をしたとしましょう。お医者様があるけが人に『重傷なので足を切断しなければなりません、そうしないと命に関わる』とおっしゃったとしましょう。きっとそのけが人は『足がなくなるくらいなら死んだほうがましだ!』というでしょう。

でも私はもともと片方不自由なのだからもう片方が無くても大丈夫、とにかく命があればいいんだとはっきり言えるのです。」という言葉が心に残りました。障害を持たれた方の全てがこのように強いとは限りませんが、「障害を受容した方の強さ」実感したからです。

私は夜寝る時に布団の中で本を読むときが大好きな時間でした。ところが、老眼になってメガネをかけなければ本が読めなくなって、いつからかその習慣を止めてしまいました。とても大切な時間を無くしたように思うのです。また、若い時と違い記憶力が弱り、覚えなければいけないことが覚えられなかったり、人の名前がなかなか出てこなかったりします。出来ないことが増えてきたことを感じています。

障害を持ったとき、高齢になったとき、痴呆症状を呈してきた時、ご本人やご家族は「失ったもの・できなくなったことを数える」でしょう。当然の思いですが、その苦しさを一番強く感じておられるのはご本人です。ご家族の役割は、ご本人がその状況を出来る限り早く受容できるようにお手伝いすることになるのでしょう。

が、ともすると「あんなにちゃんと出来たのに…」「こんなことも分らなくなったの?」と言ってしまいがちです。ご家族の方たちも急激な変化を受け入れられないですから当たり前です。でもどうか、傷つき、戸惑っているご本人をさらに苦しめないであげて下さい。

目に見える障害を持たれた方に対しては比較的優しく出来るのですが、痴呆やご高齢の場合にはなかなか優しくなれないものです。理由は色々だと思いますが「出来なくなった」と周りは分るのにご本人は「出来る」と思い込んでやってしまったり、言い張ったりなさる。「ホラ、出来ないじゃない」という結果が分っているのに、ご本人はその事がわからず又くり返してしまうということもトラブルの一因ではないでしょうか。

人はお母様のお腹から生まれて「出来る」ことを一つ一つ増やしながら大人になっていきます。人生の山登りで頂上を目指していくときです。何歳が頂上なのかは人によって違うでしょうが、頂上にしばらく居た後は緩やかな下り道です。「今は天国におられるであろうお母様のお腹の中」に向かって山を下っていくのです。

「出来ることのいくつかを失いながら」。でも、たくさんの出来ることを持ち続けても居られます。赤ちゃんの成長を見守るように、失っていくことの不安を抱える方をどうぞ優しく支えて差しあげて下さい。出来ることを認め(褒めたりしなくてよいのです)出来ないことを温かく手伝ってあげてください。

こんなきれい事をいっても、忙しい日常生活の中でゆっくり付き合っていられないのは当たり前です。思い出していただける時があったらその時だけで良いのです。瞬間の優しさ・笑顔だけでもご本人はホッと救われるはずですから。一番心にとめておいていただきたいのは「誰もが行く道」なのだということです。

(ひだまり日記 2005年1月号掲載分)
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# by hidamari-blog | 2005-01-28 14:53 | 高齢者

元旦号:「民の力」って聞こえはいいけど

皆様新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

元旦号…おだやかに楽しい内容をと思いながら、今私の頭の中を占めているのは焦りと憤りなので、ちょっと怒らせて下さい。
昨年11月30日、旭公会堂で横浜シティフォーラムが開かれました。中田市長の基調講演のあと、泉・瀬谷・保土ヶ谷・旭4区を代表して福祉関係の方々が市長とともにパネラーとして意見交換をするものでした。

テーマは「みんなで支えあう地域福祉の推進」。市長はパネラーの意見を吸収しようとなさっていたし、よく勉強もなさっているように思えました。が、「民の力」を繰り返されることに素直になれない自分がいました。中田市長のせいではないかも知れないけれど、私たちの大切なお金を勝手に無駄遣いしてきた官の方々の尻拭いを「民の力」という格好良い言葉でさせようというのか…、官は結局お金を出さずに済まそうというのだろう…見過ごしに出来ない人たちの心につけ込んで…。

また、12月に私の住む地域で「G30」の説明会があるということで参加しました。細かい分別方法の説明があるのかと思ったら、そうではなくて「なぜG30が必要なのか」という内容でした。ホームヘルパーだった時に障害をお持ちの方・ご高齢の方のお一人暮らしの場合「ゴミを出すこと」が簡単なことではないと痛感しました。ボランティアを始めたきっかけの一つでもありました。

現状のゴミ出しルールを理解・実践することもなかなか難しいのに、G30の細かい分別は不可能に近いだろうと考えていました。地域でゴミのボランティアを作らなければと考えていました。そこで、「先行実施している4区でのボランティア活動があれば参考にしたい」と質問したのですが、答えは「把握していない。高齢者・障害者が居られることが分るのはご近所だからお互いに助け合って…」というような返事。他の方がなさった質問に対しても「ご近所同士で」という答えがほとんど。結局「民の力」に期待しているということらしいのです。

ひだまりを始めた理由は「福祉の穴を埋める」ということでした。隙間ではないのです。どうにも這い上がれないような穴がたくさんあるのです。G30も介護保険の見直しも全部「弱者」といわれる方々にとっての穴になるのは目に見えているのです。介護保険が始まって「さあ使いなさい、使わなければ損ですよ」と言わんばかりにしていたのに、今度はお金がかかりすぎちゃったから制限しましょうというのです。

以前はひだまりのボランティア活動の中に「ホームヘルプ」があったのですが介護保険が導入されたことでほとんど需要がなくなり「緊急時のみ」に縮小しました。が、再び必要になりそうです。「ゴミ分別ボランティア」も必要でしょう。とはいえ、全て「人」です。お仕事として報酬を受けてホームヘルパーをされている皆さんにとって1時間500円というボランティア謝金は不足でしょう。内容は変わらないのですから。また、利用される方にとっては1時間500円という金額は高額に感じるはずです。

ゴミの分別ボランティアもこれまでお金を払うことなど考えていなかったはずですから難しいでしょうし、ボランティアさんにとっては大変な仕事になりますから強い気持ちがないと出来ないことだろうと思います。G30は4月スタートです。早くしなければなりません。読者の皆様の中でもし関心をお持ちくださったかたがいらっしゃいましたら、ぜひご連絡ください。ご一緒にやり方を考えて新しいボランティア活動を作っていきませんか?

この活動以外にも「こういうボランティアなら出来る」「自分でボランティアのグループを作りたい」など考えていらっしゃる方はどうぞご連絡ください。これまでの経験から少しはアドバイスが出来ると思いますので。
「平成17年を皆様のボランティア元年になさってみませんか?」

楽しい話題でなくてごめんなさい。今年もこんな「おせっかいが服を着て歩いている」ような私によろしくお付き合いください。

(ひだまり日記 2005年元旦号掲載分)
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# by hidamari-blog | 2005-01-01 14:51 | ボランティア

11月号:痴呆症は恥ずかしくない

ある日ひだまりの送迎で、大きな団地に行きました。利用者さんをお迎えしようと車から出た時、その棟のポストを一つづつ確かめているおばあさんがおられました。

「どちらをお探しですか?」と伺うと、「私の家です」と。「何号棟ですか?」「…」「番号は?」「…」「お名前は?」「○○です。私の家どこでしょう?」。大きな団地は確かに迷子になりそうです。同じ建物、同じドア、同じ階段。「○○街区△△棟××号」数字だけが頼りです。番号を忘れてしまったら何を手がかりに探したらいいのでしょう。その時は地域のケアプラザに連絡し、職員さんがすぐに来て下さいました。後をお願いして送迎に戻りました。後から伺ったところ○○さんはその団地にお住まいですが、痴呆がおありでこれまでにも何回か同じようなことがあったそうです。

ひだまり日記に書いたことがあるのですが、さちが丘の立体を歩いておられる痴呆の女性に出会ったことがありました。その方の場合は背中に電話番号と苗字が書いてあったのでご家族に連絡することが出来ました。又あるときは、二俣川の駅前で石川県に帰るという方と交番まで行ったことがありました。

徘徊・・・介護家族にとって心身ともに疲れきってしまう痴呆症状の大問題です。その時のお年よりご本人は70歳・80歳ではありません、30代40代…。自分の家・町並・周りにいるはずの人たちと、今自分がいる状況は全く違うのです。混乱してしまうのも無理はないです。ご本人にとっては重大な目的があるのに周りは分かってくれない不愉快さ。一日に何回も同じ思考回路でそんな思いの中に追い込まれてしまうのです。

やっと外に出られても、道が分からない不安・迷子になってしまう恐怖、帰らなければ・行かなければと思うのに目的地にはたどりつけないのです。まるで神隠しにあったよう、浦島太郎のようです。痴呆の方のそのような恐怖や不安は徘徊に限ったことではないでしょう。不安に波立った心を思いやっていただき、どうぞ怒ったり怒鳴ったりなさらないでください。火に油を注ぐだけです。今の状況から逃げ出すことしか考えられなくなってしまいます。

別に暮らしていらしたお年寄りをお引取りになるような場合、その方の周りに置いてあった使い慣れた品々を出来る限り多くお持ちいただいてください。マンションや団地のように家の外も中も同じようなドア・同じような部屋のつくりの場合は、とても覚えにくく間違えてしまうことになります。みっともないと思わずお年よりのために大きく表札を貼ってください。

部屋にもトイレにもはっきりと「むすこの部屋」「便所」等と書いてください。そして、ご本人がその日にお召しになる衣類の背中に名前と連絡先を書いたものを貼ってください。悪用されないように襟裏につけるというのが一般的ですが、痴呆の方の徘徊かどうかを判断する材料にもなるので私個人としては背中に貼るほうが良いと思います。

そして何より声を大にして申し上げたいことは「痴呆は恥ずかしいことではない!」ということです。ですから、痴呆になったと判断された時、痴呆の方をお引取りになったときは必ずご近所やお店の方々に連絡をなさってください。徘徊を早い地点で見つければご本人にとっての危険を回避しやすいのです。交通事故やお店でのトラブル、これからの季節だと凍死の可能性・暑い時期は脱水の可能性などのリスクが少なくなるはずです。

明日はわが身です。周りの方はどうか温かく見守ってください。間違った噂話や、面倒に巻き込まれたくないという態度は絶対に止めてください。周りのそういう対応が介護家族を苦しめ、隠したり抱え込ませたりしてしまうのです。お互い様です。私たちの行く道です。どうぞ心にとめて置いてください。

またまた生意気を申しましたが、不安やご相談がありましたらご遠慮なくお電話下さい。運転中は携帯電話が使えませんので必ず「非通知設定」を切っておかけください。こちらから必ずお掛けしますから。

(ひだまり日記 2004年11月号掲載分)
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# by hidamari-blog | 2004-11-28 14:50 | 認知症

10月号:本当に猫が大切なら

この1ヶ月の間に私は2回ネコの死体に出会いました。一匹はご近所の方のネコだったので連れて帰っていただけました。もう一回は出先だったので、これ以上傷つかない所に移しました。2日後そこを通ったときになくなっていたのでどなたかが処理してくださったようです。この子達の飼い主はきっと帰って来ないネコを探していらしたでしょう。そのとき必ず「車にひかれたのではないかしら」と考えるはずです。

ひだまりにはネコが5匹います。そのなかの1匹「でっきー」は外に遊びに行っていました。ノラネコ生活が長かったので家にずっといるとストレスがたまってしまうからです。でも、ネコの死体を見つけたことをきっかけに外に出すのを止めました。その理由をもう少しお話しすることにします。

私は運転をしますが2匹の死体を見て考えました。運転していてネコが飛び出てきたらどうするだろう…。「ひかないようにハンドルをきるだろう。ハンドルをきったときもしそこに人がいたら…」と考えてとても恐ろしくなりました。以前にも漠然と考えたことはあるのですが、今回は真剣に考えました。

ネコをひかないためにハンドルをきって事故になった場合、運転者も被害者も誰を恨むだろう。ネコを避けたことをきっと後悔するだろう。誰のネコかも分からない・名前も居場所も分からないネコのために一生心に傷が残ってしまうだろう。場合によっては大変な賠償を背負うことになってしまうかもしれない。それなのに飼い主はそんなことが起きていたことを全く知らず、帰ってきたネコに「お帰り、どこに行ってたの?」と抱きしめるのです。でっきーがこんな事件を起こしていたかもしれないと思うとゾッとします。

ご近所の皆様はでっきーを可愛がってくださいます。きっと、お庭を汚したり、大切なお花を台無しにしたことでしょう。でも迷惑そうな顔もされずに声をかけてくださいます。ご好意に甘えすぎていたことを本当に申し訳なく思います。「交通事故に遭うかもしれない」「ネコなんか大嫌いと思わせたかもしれない」…本当にでっきーの安全と幸せを考え「外に出さないことが一番良い」と決心したのです。

ネコを外に出してあげないのはかわいそうだと思っていらっしゃる方が多いです。ネコは「家の中がテリトリー(縄張り)」と決め慣れてしまえば、満足できるのだそうです。外を見ていたり、外のネコと見つめあったりすると「外に出て遊びたいんだろう」と考えますが、それもながめているだけで出たいと思っているわけではないそうです。もちろんネコがそう言ったわけではありません。

動物病院の先生や、猫の保護や里親探しをしている団体「捨て猫防止会」などがそう言っておられます。外に出すと先に書いた理由のほかに病気やノミ・ダニの心配があるそうです。

ある公園の掲示板に「ねこはトイレのしつけをしてから出してください」と言う内容のポスターが貼ってありました。排泄のしつけは簡単なので、ほとんどの飼い猫はしつけが出来ているはずです。それでもテリトリーを示すために外で排泄してしまうのです。「ペットを飼うものの責任・マナー」、このことを反省も含めて皆様にお考えいただきたいと思うのです。「捨て猫防止会」などは必死で活動しています。もし「飼い猫は室内飼い」を守れば、街中にいるネコはノラちゃんだけです。はっきりノラちゃんと分かっていれば活動がずいぶんスムーズになることでしょう。

ネコを飼っていらっしゃる方、どうかご一考ください。どうしても外に出されるようでしたら、首輪と迷子札を必ずつけてあげてください。万が一のときに、貴方のもとにネコちゃんが帰ってこられるためにも。

そして、ネコを迷惑なものだと思っておられる皆様。ネコたちのかわりに「本当にご迷惑おかけしてごめんなさい」と申し上げます。もしネコのことで困っていると飼い主さんにお話しされる機会があるようでしたら、今回のひだまり日記をご利用くださってもかまいません。ことを荒立てずに治まると良いのですが。

同じように考えてくださる飼い主さんが増えることを祈ります。それが何より「かわいいネコたちのため」なのだと私は信じております。

(ひだまり日記 2004年10月号掲載分)
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# by hidamari-blog | 2004-10-28 14:49 | 動物

9月号:ボランティアさんをお願いしない理由

ひだまり日記をお読みくださっている皆様の中で、「デイサービスひだまり」の見学やボランティアを希望してくださる方が何人か居られます。私達の活動を認めていただけていることをとてもうれしく思います。お申し出下さった皆様、本当にありがとうございます。せっかくですが現在、「デイサービスひだまり」はボランティアさんを募集しておりません。その理由を電話ではご説明しきれないので今回書かせていただきます。

「デイサービスひだまり」は一日のご利用定員が8名です。少人数のデイサービスを行っている理由の第一は「特定非営利活動法人ひだまり」がとてもちっぽけだということです。お金がないので小さな場所しか借りられません。

第二の理由と言うより「私たちがデイサービスを始めた一番の理由」なのですが。ひだまりをご利用くださる方は、広いデイサービス・大人数のところを好まれない方がほとんどです。そういう方々お一人お一人の心身の状態やお気持ちをしっかりと把握し、ほぼマンツーマンの形で関わらせていただくための定員8人なのです。(始めは5人を定員にしていたのですが、ご利用希望が多く少しずつ増やしてきました)。

スタッフは8名です。毎日4人前後のスタッフが関わらせていただきます。「ごく普通の暮らし」に出来るだけ近いように、新聞を読んだりおしゃべりをしたり・散歩に行ったり買い物に行ったり・ゲームをしたり体操をしたりして過ごします。何気なく過ごしているように見えると思いますが、この間スタッフはずっと神経をはっています。

普通の生活に近いからこそ見える小さな変化を見逃さないようにしているからです。毎日同じ顔ぶれなわけではありませんから、雰囲気もその日のメンバーによって変わります。お出でくださる皆様も「その日のひだまり」をスタッフと一緒に作ってくださるのです。

そこに見慣れない方がお出でになると、作ろうとしていた又は作り終わった雰囲気がガラッとかわってしまいます。利用者の皆様はお客様に対して身構えてしまい、よそ行きの顔を作られます。「よそ行きの顔」を作ることも大切な日常生活の気遣いです。が、それが出来る方ばかりではありませんし、気が向かない日も当然あるのです。

そして何より、「お客様とお話をするためスタッフの時間も注意も利用者様からそれてしまう」ことが私たちが一番避けたいことなのです。一般のご家庭に見ず知らずの方が入って来られることはないですよね。先にも書いたとおりひだまりは「ごく普通の暮らし」をモットーとしているのでこのような考え方を貫いているのです。

介護保険の事業所になる前、ボランティアレベルで活動していた時はご利用者様もお一人かお二人だけ。場所も通学路に面していて子供さんたちや町の方々と毎日ご挨拶の出来るところにありました。いつもオープンで誰かが遊びに来ているような状況で、とても楽しい場所でした。それでも、お年よりの体調が悪い時や眠っておられる時は「今はごめんなさい」とお断りすることもありましたが。ところが建物を取り壊すことになり今の場所に引っ込まざるを得なくなったのです。

二倍以上になった家賃を考えると収入を安定させなければならなくなりました。そんな時「デイサービスが合わない方がいらっしゃる」「ひだまりに来たいけど介護保険が使えないと実費は厳しい」と言う話が耳に入るようになり、悩んだ末に介護保険対象デイサービス事業所にしたわけです。

NPO法人にしたこと・介護保険の事業所になったことには「良かった面と悪かった面」があることも事実です。でも、現在は14人のご利用者様とそのご家族の縁の下の力持ちになれているという思いでスタッフ一同毎日がんばっています。

・・・と言う理由で基本的に見学や新しいボランティアさんをお受けしないようにしているのです。ただ、ひだまりを利用したいとお考えの方・ご家族の方、デイサービスとして様子を知っておきたいと思われるケアマネジャーさんの見学は日程・時間を打ち合わせさせていただいた上でお受けしています。

生意気を言っているように思われたらごめんなさい。これから先、もしも経済的に安定することがあったら、もう一度以前のような「誰でもおいで!」と申し上げることの出来るひだまりを作りたいと思っています。これこそがひだまりの原点なのですから。

もおいで!」と申し上げることの出来るひだまりを作りたいと思っています。これこそがひだまりの原点なのですから。
デイサービス以外のボランティアさん(送迎・緊急時ホームヘルプ・その他)はお受けしています。ぜひお力をお貸しください。ではまた次回、お目にかかります。

(ひだまり日記 2004年9月号掲載分)
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# by hidamari-blog | 2004-09-28 14:48 | ボランティア

8月号:家族の知らない一面が…

残暑お見舞い申し上げます。みなさま、いかがお過ごしですか?これを書いている今日、赤とんぼを見ました。立秋を迎え赤とんぼは自分の出番をちゃんとしっているのですね…。

ところで、貴方は貴方のお父様・お母様のことをどのくらいご存知でしょうか?親御さんがご高齢になられて、皆様方が何かの形(書類上であったり、実質的であったりしますが)で介護者の立場になられる事があります。そのとき、これまで知らなかった親御さんの姿に出会うことがあるようです。それはまるで我が子のことなのに全く知らなかった一面を知らされ、喜んだり、驚いたり、寂しく思ったりする子育ての一場面のようです。

働いているご両親の姿しか見ていなかったとおっしゃる方が多いです。家族のために必死で働いておられるご両親の生活の中に「遊び」「趣味」という要素はなかなか見つけられなかったでしょう。でも、親御さん方にも別の一面がおありです。

ひだまりにおいでくださっている14人のご利用者さん。どの方もお若い頃のことを話されると生き生きなさいます。痴呆のある方も昔のことはしっかり覚えておいでです。現代の若者よりもずっとずっと充実した日々を送っておられたように思います。だからこそ、思い出話を聞かせていただく私たちに感動が伝わるのだと思います。

修行でつらいとき泣きながら歌を歌ったとか、終戦後日本に帰って聞いた「りんごの歌」で平和を知ったなど。歌は思い出の効果音になっているのを感じます。聞くのがお好きな方、歌うのがお好きな方、それぞれ歌を楽しまれます。懐かしい歌を収めた歌集一冊をほとんど歌える方が何人か居られます。

そのことを「連絡帳」(ひだまりと介護者の方との)に書きましたら、「母が歌うとは知りませんでした」「ひだまりで歌った『青葉茂れる』ってどんな歌?と聞くと喜んで歌ってくれました。初めて聞いた母の歌声、涙が出ました」などとお返事を書いて下さいました。

お父さんは、知らない人と関わるのは嫌いだからデイサービスやホームヘルパーは絶対に無理だと思い込んでおられたご家族。ひだまりで大人気になるほど楽しく面白い方ですとお知らせすると、ご家族はほっとされると同時に信じられないとおっしゃいます。

男性の場合、家の外でずっと「社会人」を続けてこられたのですから、他人と上手に関わる力をお持ちになっているように思います。とはいえ再び「対外的な顔を作る生活」になってしまうことは、申し訳ないとも思いますが。

良い話だけではありません。「とても穏やかな優しいお父様・お母様」だった方が、物取られ妄想や孤立感から「怒り」「暴言」「拒否」を表すようになってしまうこともあります。これは、本当に悲しくショックなことだと思います。そうなるとご家族はとてもつらい状況になられます。が一番つらいのはご本人です。

心の中で「どうしたのだろう…自分は変だ…」と感じながらも抑えられないほど不安で恐いのです。大好きだったお父様・お母様を胸の中にしっかりと納めた上で、「痴呆と言う病気にかかった別の人格」として熱い心と冷めた頭で接して差し上げてください。

「あのお母様が」「あのお父様が」と比較してはお気の毒です。私の先生が講演会でおっしゃいました。「痴呆は家族がずっと看きれるほど甘くない」と。もちろん、可能な場合もあります。でも、厳しい症状を呈する痴呆は多いです。

親御さんの「楽しく素適な一面を発見」したら、心からうれしく思えるようなゆとりを持つためにも、早い時点で人の力を使ってください。「なんかおかしい…」と思った時がそのときです。

(ひだまり日記 2004年8月号掲載分)
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# by hidamari-blog | 2004-08-28 14:48 | 高齢者

7月号:ジメジメの時期を快適に

暑中お見舞い申し上げます。みなさま、いかがお過ごしですか?
今回は、要介護者(介護を必要とされる方)の、あせもや湿疹についてお話します。いつも申しておりますが、私は医師でも看護士でもありませんから専門的なことをお話しするのではありません。診断や治療は必ず専門の方にお受けください。

ひだまりにいらっしゃっていた痴呆のある女性。初夏のある日、イライラして落ち着かないのです。トイレにお連れして原因が分かりました。下腹部の湿疹でした。「かゆい」とおっしゃることが出来なかったのです。トイレで下着を下ろした瞬間、傷つくほどかきむしり始めました。ギャザーパンツ(紙パンツ)を使用しておられたのですが、少しきつかったこともかゆみを増した原因だったようです。

患部を清拭し、少し大きめのギャザーパンツに穿き替えて頂きましたら、少し楽になられたようでした。また衣類の調節が分らなくなってしまわれた痴呆の方。猛暑でも、真冬のような重ね着をしておられました。脱いでいただこうとしても、なかなか応じてくださいません。汗をびっしょりかいておられます。発熱しているわけでもありませんのに、ご本人は寒いとおっしゃいます、扇風機の風も寒いと。汗が急に冷えるからでしょう。7枚お召しになっていました。時間をかけて3枚は脱いでいただけましたが、残り4枚はどうしてもだめでした。汗取りタオルを入れる時に見ると、背中はアセモがいっぱいでした。

痴呆の方・寝たきりで自由に動けない方の場合、この季節は充分にご様子をみて差し上げていただきたいです。お一人で入浴される方でも、「たまにはお背中流しましょう」等と言いながら身体の状態を観察なさってください。ギャザーパンツのあとがクッキリとついているようだったらワンサイズ大きいものにかえた方がよいかもしれません。

もし湿疹があるようでしたら一応皮膚科を受診されたほうが安心でしょう。不衛生になりがちですから、ばい菌が入ってしまうと治療が必要になります。早めに受診なさったほうが良いと思います。
背中や胸のアセモは、蒸しタオルを少し冷ました状態で用意し手早く拭いて、乾いたタオルで水分をしっかりふき取るようにするとさっぱりします。薬についてはお医者様にご相談されたほうがよいでしょう。

赤ちゃんが泣き止まない時、下着に髪の毛が付いていたとか足首に蚊が刺した痕があったというご経験はありませんか。赤ちゃんは表現できないから泣いているのです。痴呆の方も、「ここがかゆい」と表現できなかったり、痒さの原因を見つけることができないことがあります。大人ですから赤ちゃんのように簡単には行かないでしょうが、赤ちゃんをお世話される時のことを思い出して調べてみてください。

また、痴呆の方が怪我をされたりしてガーゼや包帯をした場合。怪我をしたことを忘れてしまうので「ガーゼ」「包帯」が理解できず、何回もはがしてしまったり、傷そのものを剥がそうとしたりなさいます。以前のひだまり日記にも書きましたが、怪我や病気を理解していただくことは難しくなります。周りにいらっしゃる方が、早め早めに気付いて差し上げないと、対応がどんどん大変になってしまいます。どうか、いつもと様子が違うと思われたら全身のチェックをなさってみてください。

これも以前に書きましたが、この季節、水分補給も充分になさってください。あっという間に脱水状態になります。一日にペットボトル約一本分の水分を摂ると思ってください。もちろん、水分制限のある方は別です。水でなくてもちろん構わないのです。お茶やウーロン茶、それをゼリーにしたものでも大丈夫です。とにかく少しでも多く水分を摂ってください。入浴前後は、必ずたっぷりお飲みください。
介護の日々を送られている皆様、厳しい季節くれぐれも御自愛ください。

(ひだまり日記 2004年7月号掲載分)
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# by hidamari-blog | 2004-07-28 14:47 | 認知症

6月号:送迎ボランティアって必要です

ひだまり日記を書かせていただくようになってから5年が経ちました。自分勝手な思いを、下手な文章で書かせていただいておりますので、内容によっては不愉快に思われた方もいらっしゃると思います。

あらためて、ここでお詫び申し上げます。私自身は読者の皆様からいただく応援の声に勇気百倍でこれまで続けさせていただけました。本当にありがとうございました。

今回は皆様に「お力をお貸しください」という意味をこめて送迎ボランティアの事を書きます。
ひだまりの活動の一つに「送迎ボランティア」があります。(兄弟グループ"友"の事務局・コーディネート・をやっています。私自身は送迎ボランティアのメンバーです)

一ヶ月に100件を超えるほどニーズがあります。ほとんどはご高齢の方の通院送迎ですが、ほかに障害をお持ちの方の作業所・養護学校への送迎もあります。私は以前、ある作業所へボランティアに行っていました。そこには送迎車がありましたが、全員が毎日乗ることは無理だったようで、運転の出来るお母様は自家用車で送迎しておられました。

「週5日。朝10時に送る、3時半に迎えに行く」のです。作業所の送迎車を利用される場合も家での「送り出し・迎え」は必ずしなければなりません。お母様たちはお勤めすることも難しいのです。私は「二人の子供が幼稚園の2年間、このような拘束された時間」を経験しましたが、それでさえ昼間の時間があっという間に終わってしまい、あわただしさを感じ、早くこの状況が終わらないかと思ったものです。

また、母親が病気になったときも、幼稚園だったら仲の良いお母さんにお願いすることも出来ますが、障害をお持ちの方の場合はなかなか他人に頼めません。結局、無理してでも送っていくか、子供さんを欠席させるしかないのです。病気でゆっくり休みたいのに、障害のある子供さんがお家に居られるのですから、いつもより一層お世話をすることがきついはずです。

また、子供さんにとっても作業所(学校)に行きたくてもお母様が病気だから行かれないのですからつらいです。そういう生活が、何十年と続くのです。私がお目にかかったお母様たちはいつも明るくして居られました。長いキャリアをお持ちでしたから上手に時間をやりくりしておられたのでしょう。でも時々「今日はつらい…」とおっしゃることがありました。

その時の経験が今、送迎ボランティアをお受けする時の思いにつながっています。健康な者にとってはどうということは無いようなことが、様々なハンディやバリアをお持ちの方にとっては「生活することそのものに直結」してしまうのです。

その中の一つ、「送迎」「移動手段」の必要性をとても感じるのです。少しでもお手伝いしたいと思って活動しているのですが、ボランティアの数に限りがあるのでご希望があってもお断りせざるを得ないケースがたくさんあります。

また、保険の関係もあって緊急のケースはお受けすることが出来ない状況です。行政は今後、私たちのような送迎ボランティアの活動に細かい条件をつけようとしています。そうなったら、ボランティアグループが送迎をすることがむずかしくなってしまいます。…そのことについて話すと長くなるので止めておきますが、今もどこかで「だれか手を貸して!」と声に出せずに叫んでいる方々がたくさんおられると思うとたまらないのです。

グループで送迎車を持つ余裕がありませんのでボランティアさんの自家用車をお使いいただくことになります。リスクがないとは言い切れません。そのことは申し訳ないのですが、ご利用者さんは「送迎サービス補償」という保険に加入していますし、「合意書」というものもいただいていますのでその点は安心していただけると思います。

「出来ることを 出来る時に 出来るだけ」がボランティアの基本です。週一回だけでも助かります。神奈川県横浜市旭区・近隣区にお住まいの方。このひだまり日記をお読みいただいて手伝ってもいいと思ってくださった方が居られましたら、ぜひご連絡ください。

ご無理を言うつもりはありませんので、ご心配なくご連絡ください。お待ちしています、どうぞよろしくお願いいたします。

(ひだまり日記 2004年6月号掲載分)
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# by hidamari-blog | 2004-06-28 14:46 | 送迎ボランティア

5月号:リハビリテーション…?

脳血管障害が原因で四肢に麻痺が残ることがあります。脳の左側が病気の原因の場合、首から下の麻痺は右側に、脳の右側が原因の場合は左側に残る可能性があります。

入院中からリハビリテーションが行われます。リハビリテーションというのは一般的には機能の回復を言います。骨折の場合などは治療のため固定し安静にしていた間に、衰えたり固まってしまった筋力・筋肉を鍛え・柔らかくして出来る限り以前の状態に近づけていくことになります。

麻痺が強い場合は「残された機能を出来る限り維持すること・健側(麻痺の無い側)を上手に使い、さらに麻痺側をたすけること」等を練習することになるようです。退院後はリハビリのために通院します。通院が難しい場合は訪問リハビリという方法もあります。患者さんご本人が前向きな場合、意味をきちんと理解されている場合はかなり長期間続けられるようです。

しかし訓練拒否や、指示が理解できない場合は「やめましょう」というケースがかなりあるようです。私が関わったケースでも、脳梗塞が原因で痴呆症状のある方が指示を理解できず、やる気がないとみなされ訓練は中止。家族が必死になって歩行訓練をなさっていた方がおられます。

若年の方の場合は社会生活への復帰が目標になるのですが、ご高齢の方の場合目標を持てない場合があります。心身ともにきつい状況でリハビリをがんばるには、はっきりとした目標や希望が無いと難しいと思います。そういう時、周りの者が手伝えることの一つが「目標や希望を提案すること」だと思います。ご本人が大切に思われていることで、近い将来実現可能なことをご家族が共にうれしそうに話し、応援されることが大切なのではないでしょうか。簡単なことではありませんが何とか楽しみを見つけ、約束を実現して差し上げてください。そして、もう一つ大切なこと・・・。

以前にすんでいた所で「地域リハビリ教室」のボランティアをしたことがあります。そこに奥様が付添われて参加なさるMさんという男性がおられました。Mさんは最初のバイタルチェック(血圧測定等)と体操、最後のお茶のみは参加されるのですが、その他の作業(音楽・お習字・はり絵・ケーキ作り・・)は一切なさらずタバコを吸いに車椅子で庭に出てしまわれます。吸い過ぎると困ると言う奥様の言葉で私はいつもお目付け役として一緒に庭で過ごしました。

その方がおっしゃった一言は私の活動に影響しています。それは「お上手ですねと言われたくない!」という言葉だったのです。発病前、その方は一流企業でバリバリ働いておられました。数回の発作の結果重度の麻痺が残り、得意だった書道も利き手では筆がもてません。リハ教室に参加したある日、Mさんは書道に兆戦なさったそうです。以前の自分の字とは似ても似つかない字・力の入らない字で暗澹たる想いだったそうです。

ところが、それを見たボランティアさんが「まあ!お上手ですね」と誉めたのだそうです。別の時「飲料水の空き容器で作った楽器で合奏」というのをやっていた時、幼児に言うみたいに「あらとてもお上手じゃない?」と言われたのだそうです。「リハ教室をやめたいが、奥様の気晴らしの場所らしいから参加している」とおっしゃるのでした。ボランティアさんがどんな言葉を使えばよかったのかを申し上げるつもりはありません。

Mさんの言葉を知らなければ私も良かれと思って同じ事を言っていたでしょう。ひだまりでは利用者さん方に昼食の準備や後片付け、布巾を縫うこと、大工仕事など手伝っていただきます。そのときに「お上手ですね」などとは絶対に言いません。

いまは痴呆症状があっても、私達よりもずっと長い間家事や仕事をなさってきた方たちです。「ありがとうございました。手伝っていただいて助かりました」というだけです。Mさんの言葉を常に心にとめ、自分が相手の立場だったらどう感じるかを考えて言葉を選ぶようにし、スタッフにもそのように伝えています。

日常の仕事をすることは大切なリハビリです。プライドを傷つけず、やる気をなくさないような言葉かけが周りの者の大切な関わり方だと思っています。

(ひだまり日記 2004年5月号掲載分)
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# by hidamari-blog | 2004-05-28 14:45 | 高齢者



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