ひだまり日記

元旦号:元気と癒しをくれるものたち

皆様、あけましておめでとうございます。旧年中は多くの皆様から応援をいただき、ありがとうございました。これからも何か一つでも情報としてお届けできればと思いながら書かせていただきます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

お正月はいつもの話題とは違うことを書かせていただくことにしています。今回は私と動物たちのことをお話します。
私が生まれた家には「ケル」という大きなシェパードがいました。おやつのビスケットを残してケルの小屋に持っていって食べさせる時間が大好きでした。

幼稚園の時、祖母の家の猫「マコ」が生んだ白い猫を飼い始めました。名前は「ボン」。シャムネコの「チョビ」「サブロー」。「ケル」が亡くなったあと黒いシェパード「アド」。この子達と一緒に私は大人になりました。結婚してからはアパート住まいだったので、しばらく動物を飼うことは出来ませんでした。娘が4年生のころ、雨の日に子犬と出会いました。子犬が「連れて帰って…」と言った(?)ものですから、アパートのルールは知りつつ家に連れて戻りました。アパートの周りは空き地やバラ園ばかりでノゾキが出没したりする少々物騒な所でした。そこで、大家さんに番犬として飼わせてほしいと相談すると「いいですよ」と嬉しい返事。「パンチ」と名づけて堂々と飼ってしまいました。そのころのことを思い出すたびに夫が「女性はたくましいなあ」と言います。(訳すと「君はあつかましいなあ」でしょうね。)

数年後、パンチを予防注射に連れて行った時、先生が貰い手のない子猫がいるから会ってみて?と悪魔のささやき。目が合った瞬間「連れて帰って…」という子猫の声。帰りはパンチと一緒に子猫がいました。この猫が「ももたろう」。番猫…というわけにはいきませんから大家さんには内緒でした。…夫が言う「たくましい」はもっともです。その後、落ちてきたスズメのヒナ(手乗りスズメになりました)、迷子のインコ、ムクドリ、ペットショップで出会った「文鳥」「ハムスター(今みたいに人気が出るずっと前のことです)」「このハムスターから生まれた子供たち(最高6匹飼いました)」をアパートで飼いました。

平成7年に今の住まいに越してきて「パンチ」と「ももたろう」との生活でしたが、ある日パンチの散歩中に子猫に出会い、遠慮なく家に連れて帰りました。「アリス」です。11年、六畳一間のひだまりを開所したとき「でっきー」「まるめ」が来ました。13年に現在のひだまりに移り、里親探しで神戸からやってきた「みちお」「とんとん」「みーみー」が。ボランティアさんが連れてきてくれた「小梅」の計6匹が。また、新しいひだまり荘には「カノン」「トルテ」「ジャム」という元野良猫ちゃんだった子達と、数年前から主人が猫アレルギーになったために家で飼えないため前述の「アリス」が加わって4匹がいます。家には「パンチ」と「ももたろう」の死後しばらくして、飼い主さんが亡くなって貰い手を探していた5歳の犬「めりぃ」がやってきました。

こんなふうに、わたしの周りにはいつも動物たちがいてくれます。確かにきちんと世話をすることは、大変だしお金もかかります。別れのつらさも半端ではありません。でも、この子達のくれるものは計り知れないのです。私のストレスを消してくれているのはこの子達でしょう。たぶんこれからもずっと私と動物たちの縁は切れることがないと思います。今年もこの子達の笑顔(?)と皆様からの応援に勇気付けられてがんばります。

(ひだまり日記 2006年元旦号掲載分)
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# by hidamari-blog | 2006-01-01 15:04 | 動物

11月号:サンダルばきの福祉

「地域」。どのぐらいの範囲を思い浮かべられますか?区内?町内会?向う三軒両隣でしょうか?
このごろ目や耳にする言葉の中に「地域力」という言葉があります。以前に、「協働」「民の力」というカッコよさそうな言葉で行政が市民に様々なことが押し付けようとしていると書いたことがあります。この「地域力」という言葉も同じ香りがしませんか?

ヘルパーだったとき、寝たきりの方をそのままにして帰ることがつらくて心配で何回も見に戻りました。ご近所の方に「ヘルパーは帰りますので時々見ていただけますか。」と言って帰れたらどんなにいいだろうと思ったものです。悲しいかな「お互い様」「手を貸して」ということが遠慮とうっとうしさのためか、なかなか難しい現状です。

それならば、小額のお金をいただくことで割り切って遠慮なく用事を頼めるボランティアグループを作ろうと考えました。平成9年、現在のひだまりの元になる「地域ボランティア友」を作りました。キャッチフレーズは「サンダルばきのボランティア」。私の思いの中の「地域」は「サンダルばき」で行ける範囲なのです。
私は自分の住んでいる地域が大好きです。誰とでも挨拶しあえて、犬友達がたくさんいて、ひだまりを応援してくださる方がたくさんいらっしゃるのです。こういうのって素敵でしょう。

反面、地域で傷ついてしまう方もいらっしゃいます。お年寄りの介護に疲れていても、福祉サービスを使うことでご近所になんて言われるかと気にして一歩踏み出せない方、働きたいと思うのに「あんな小さい子供を預けてまで…」と言われて仕事に出られない、そんな話も聞きます。そういう相談を受けたとき私は必ずこう答えます。「そう言っている人が本気で手伝ってくれるのなら言われるとおりにするのも良いけれど、結局、何もしてくれないのだからほうっておきなさい」と。近所の意向を気にして自分の生活を乱し、後悔したとき誰を恨むのでしょう。それはあまりにも無意味でしょう。

出身地・生活歴・学歴・生活レベル・家族構成・生活リズム・考え方・・・全てが違う人たち同士が地域だからというだけで、仲良く親しく、わきあいあいと暮らせるというのは、少なくともこのあたりにおいては残念ですが夢物語でしょう。
でも、考え方の近い人たちが集まって作ったボランティアグループやサークルが、みんなで意見を出し合い・目的に向かって活動していくこと。これは地域の中に新しい風を吹き込み、どなたかの支えになれることが間違いなくあります。手前味噌のようですが、私たちの活動もその役目を少しは担っていると信じています。

ひだまりが散歩しているとき多くの方が声をかけてくださいます。私たちもうれしいですが、声をかけてくださった方もさわやかな思いをもたれるのではないかと想像します。ひだまりに出入りしてくれる子供さんたちは、地域には色々な方がいらっしゃることを自然と学んでくれます。

無理やり作る「地域」かもしれないけれど、少しずつ地域を楽しいものに変化させることができるような気がします。時間がかかるけれど、そうやって養われていくものこそが「地域力」になっていくのではないでしょうか。

間もなく、新しいデイサービス「ひだまり荘」がオープンします。ひだまり同様、地域の中で活動させていただきます。ご迷惑をおかけすることもあると思いますがどうぞよろしくお願いいたします。地域の方々が集まれる場所にもしたいと思っています。何か活動なさるのに遠慮なく使える場所を探していらっしゃる方がおいででしたら、ご相談下さい。楽しみにしております。

(ひだまり日記 2005年11月号掲載分)
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# by hidamari-blog | 2005-11-28 15:03 | 福祉サービス

10月号:「役立たず」と思われたくない!

おばあちゃんは何もしなくていいからね…。疲れるといけないから家にいてね…。
この言葉って優しい思いやりにあふれた言葉に思いますか?もちろん「場面」「言い方」「声の調子」などにもよるでしょうが。

要介護の方や痴呆(認知症)の方と一緒に暮らすということは簡単なことではありません。初期なら楽?重度が大変?…いえいえ、いつもが大変なのです。特にお年を召されたから・お一人では心配だから、と同居なさるようになった場合は特に大変だと思います。

各々が各々のやり方を持っていらっしゃるわけですから。まして、お年よりは、お目が悪くなっていらしたり、物忘れがあったり、新しい方法を覚えることが難しかったりするわけですから。また、痴呆症状がおありの場合は、痴呆とはどういうことなのかをご存知でないと戸惑うことばかりのはずです。

家族がそれぞれの生活を送っていく中でリズムが崩されてしまうこと・ストレスがふえることは確かでしょう。でもそこで、一つ考えていただきたいのです。たとえば、会社で昨日までバリバリ仕事をしていたあなたが、ある日「君は今日から何もしないで座っていれば良い」・昨日まで家事全般をこなし、家族の世話も自分が居なければと思っていたのに「後は私に任せて部屋でのんびりしていて下さい」等と言われたら…。自分は役立たずになってしまったのか、誰にも必要とされないのかと寂しく空しい思いになるのではありませんか?まして、そこに若干の悪意(邪魔です…という意味)を感じ取ってしまったらつらいですよね。

「毎日毎日、どんなに忙しくても我慢してお年寄りを立ててください」などとは言いません。たまにで良いのです。休日の前の日など、少し気持ちに余裕があるときにでもお年寄りに何かお願いして差し上げてください。買い物にゆっくりお連れして「どれがよさそう?」などと相談を持ちかけてみてください。一瞬でも家族の役に立てたことをうれしく思われ、きっと素敵な笑顔を見せてくださるでしょう。

ひだまりはデイサービスです。ご利用者様に毎日色々お手伝いいただきます。台ふきを縫っていただいたり、食事の準備・洗いもの・編み物・洗濯物たたみなど。皆様、競うようにやってくださいます。家事がお出来にならない方には、相談ごとをしたり、昔のことを教えていただいたりします。お一人お一人が多くのご経験と力を持っていらっしゃいます。それを見つけて、力を維持していただけるように考えています。これは私たち介護職の大切な仕事の一つだと信じています。生意気のようですが「生活」をなさっているご家族には「やって差し上げたくても時間も気持ちもゆとりが無い」のが現状でしょう。ご家族の代わりとまではいきませんが、少しでもお役に立ちたいとおもっております。

特定非営利活動法人ひだまりは、12月1日から新しく「認知症専用デイサービス」を始める予定です。現在のひだまりはそのまま、近くにもう一軒、家を借りてスタートします。痴呆(認知症)の方と少しでも早い時期から関らせていただくことで、力を維持していただけるようお手伝いしたいと考えています。

(ひだまり日記 2005年10月号掲載分)
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# by hidamari-blog | 2005-10-28 15:02 | 高齢者

9月号:「呼び寄せ」の持つ危険性

「呼び寄せ」という言葉、本来は「呼び寄せる」(呼んで集める)という動詞でしょうが介護用語としては「別の土地に暮らしている両親などを子供の住む地に連れてくる」という意味になります。同居かどうかは別ですが、お年寄りにとってなれない土地での「安心で不安」な暮らしが始まります。

私はこのことが日本の高齢者福祉の大きな穴の一つだと思っています。介護保険は「在宅福祉を充実させる」事が目的のはずでした。在宅福祉というのは、その人が住みなれたところで安心して暮らし続けるための必要な支援をすることです。にもかかわらず、安心して暮らし続けることが無理としか思えない、お寒い福祉サービスしかないので、呼び寄せることになるのです。

年老いて新たな環境に入ること・慣れることの難しさは想像できると思います。ご本人が暮らし続けたいと言っても、ご近所の方等から「お年寄りだけで住んでいるのは危ない・火でも出されたら困る」などと悲しい言葉を言われたらご本人の意思を無視して呼び寄せを決断するしかないのです。

もしヘルパーの派遣がもっと多く、夜間の巡回もあり、訪問医療(医師・看護師)が充実し、住宅改造がきちんと廉価(介護保険でまかないきれれば最もよいが)でなされるようであったらご本人の希望どおり暮らし続けられるでしょう。そのとき、子供たちの役割は?回数多く顔を見に行き、状態にあった必要なサービスをきちんと調べ、契約をし、場合によっては金銭管理をし、サービスがきちんと行われているか・ご本人が納得しているかなどを確認する責任を負っているのです。

そして「あなたのおかげで、自分たちは幸せに元気に暮らしている」ことを伝える…という最も大事な親孝行をして帰ることです。これが実践されれば、親は子供に気兼ねすることなく自分らしく過ごし、住み慣れたところで暮らし続けることが出来るのです。北欧の福祉はこれが実践されているのだそうです。北欧が福祉先進国といわれる理由はこういう部分だと私は思っています。ところが、日本の今の福祉行政では望めません。

では、どうしたらよいのでしょう。私が今言えるのは、早い決断ということだけです。ご本人に「老い」が見えたと家族が感じたとき、「これからどうやって過ごして行く?」ということをご本人を交えてきちんと話し合うことです。(以前にひだまり日記で書かせていただいた「エンディングノート」があると話しやすいのですが)そして、もしご本人の気持ちと一致し、可能であれば「呼び寄せ」に進むことです。この時点であれば、ご本人の気力もまだ十分残っているので新しい環境に慣れる努力が可能であり、ご自分の持ち物の整理もご自身の判断で出来るわけです。さらに、介護サービスを選ぶのにもご本人の意思を確認すること・利用していく中で不満や不便がないかなど話し合うことも可能でしょう。

つまり、ぎりぎりの状況になってから呼び寄せとなるとご本人の意思を無視してしまい、同時に受け入れる側も準備不足な状態ですから様々なトラブルが起きてきます。同居している家族が本当に納得していない状況下で各自の生活リズムが崩れてしまう、そのリズムを調整し、不満を解消するために介護サービスを使うことになります。が、混乱しているご本人をお世話なさりながらでは役所へ出向くことや見学に行くなど、ご本人に合う良いサービスを選択する余裕もないわけです。

流れはお分かりいただけたと思います。早期決断、早期実行が一番なのです。とはいえ、これは理想論に近いです。普段からのコミュニケーションがうまくいっていないと難しいです。また、他の子供たち(兄弟)との問題もありますから、かなりのエネルギーを必要とします。

だから、一日伸ばしになってしまうのです。我が家も同様ですから偉そうなことは言えないですが、「呼び寄せ」ということがどういうことなのか、客観的にどういうことが起きるのかをを知っていただきたくて書きました。
「住み慣れたところで安心して暮らし続ける」・・・このことが可能な日本になることを願いつつ、中尾にあるちっぽけなNPOは毎日「おせっかいやき」をしています。何かご相談がありましたらご遠慮なくご相談下さい。何かお役に立てることがあるかもしれません。

(ひだまり日記 2005年9月号掲載分)
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# by hidamari-blog | 2005-09-28 15:01 | 高齢者

8月号:「さっき」は消えている

中程度・重度の痴呆(認知症)の方にとって「昨日」「今朝」「さっき」という時はなくなってしまうようです。(個人差がありますから全ての方がというわけではありません。)

ひだまりでの例をご紹介しましょう。まな板に置いたきゅうりを眺めて「どう切ります?」とYさん。スタッフが「千切りに」「細い千切りね、はいはい」とまな板に向かったとたん、「どう切ります?」…ということに。この場合は、千切りきゅうりを置いておくと大丈夫です。また、ひだまりには猫が6匹いますが「猫がたくさんいるのねぇ。何匹?」「6匹です」…「かわいい、ここにもいるわ。何匹いるの?」。猫は置いておけないので、そのつど6匹です、と。一瞬にして「さっき」が消えてしまうのが痴呆(認知症)症状の一つです。

ご家族は色々工夫され何とか生活がスムーズに送れるようになさるのですが、結局いたちごっこになってしまうようです。たとえば、ご家族が出かけなければならない時、メモに「昼食後、薬をのむこと」と書いておいて置きます。ご本人は昼食を召し上がってメモを見ます。「薬、薬」とがんばって飲まれます。が、メモは目の前にあります。一瞬後、捨てていないメモが目に入ります。お茶碗やお皿も目の前にあります。食べた記憶ははっきりしないけれど証拠になる食器があるから食べたのだろう…、

じゃあメモにあるから薬を飲まなきゃ!ご家族が置いて下さった薬はもうありませんから、自分で薬を探し始めます。必死に家中探し回ることになるでしょう。探しているうちに今度は何を探していたのか分からなくなってしまいます。家の中はめちゃくちゃ、ご本人も混乱してしまいます。こんなことが実際に起きるのです。

メモやカレンダーに書き込んでおく、こんな分かりやすいことでさえ『「今」と「過去の生きがいを感じていた大好きだった時間」に生きている』痴呆(認知症)の方にとってはトラブルの原因です。この繰り返しが介護ご家族の生活を乱し、ストレスになるのです。
誰も悪いことはしていません。誰のせいでもありません。私はよく「痴呆(認知症)は神様が下さる最後のプレゼント」と書きます。近く終わる命を直視する恐怖を忘れさせてくれる素晴らしいプレゼントのはずです。が現実は「悪魔からのプレゼントなんじゃない?」という思いをもたれる方がほとんどでしょう。

ご本人にとってもご家族にとっても良いプレゼントだったと思えるために、お互いが楽になることが大切でしょう。ご家族が安心して生活できるためにホームヘルパーやショートステイを。健康管理のために訪問看護士を。安全な入浴やレクリエーションのためにデイサービスを。介護保険サービスを使っても足りない部分については地域のボランティアを。

ひだまりは近いうちにもう一つ拠点を作る予定です。ボランティア活動の拠点・初期認知症の方のデイサービス・デイサービスご利用の方が必要なとき泊まることも出来る、そんな場所です。現状の福祉サービスの穴を埋めるための拠点です。読者の皆様の中で、ボランティアや何か教室をなさりたいと思っていらっしゃる方にジャンルは問わずお使いいただける場所にしたいと思っています。デイサービスのスタッフも募集しています。関心をお持ちくださった方はぜひご連絡ください。

(ひだまり日記 2005年8月号掲載分)
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# by hidamari-blog | 2005-08-28 15:00 | 認知症

7月号:認知症の方と周囲の方たち

テレビ番組などで痴呆(認知症)のご本人が顔を隠すことなく病気のこと・生活のこと・不安なことなどを自らの言葉で話されるようになりました。若年性痴呆(アルツハイマー・脳血管性等)の方とご家族を取材したものを見ましたし、介護職の勉強会で初期認知症のご本人が発表してくださったこともあります。

他の病気でご本人が病名を知って、今後の治療方法・生活のことなどをきちんと考えることはとても大切なことです。言うのは簡単ですが、ご本人の強い精神力が必要だと思いますし、その様子を見守るご家族の思いはいかばかりかと思います。(*「認知症」という言葉がまだ定着しないので、以下「痴呆」と表します)

痴呆の当事者が病名を知ったときどんな思いになるのでしょうか。痴呆というのは決して良いイメージではないでしょう。読者の皆様はどのような様子を思い浮かべられるでしょうか。物忘れ?徘徊?暴力?…。いずれにしてもご自身だけでなく、ご家族や周りの方をも巻き込んでしまうのだという思いが心の中を大きく占めることでしょう。自覚することがどれほど悲しく不安かと、想像するだけでも心が痛みます。

このところ私は仕事上だけではなく私的な時にも「初老期痴呆」「若年性アルツハイマー」の方と出会うこと・ご相談を受けることが多くなりました。この中の何人かの方はご本人が病名をご存知です。当初は病気を受け入れられず気持ちが荒れて、ご家族にあたったり、必死で隠して職場などで失敗を繰り返したということが起きたようです。

その後、専門分野の人々と関わることでいくらか気持ちが楽になり「今をどう過ごすのが良いか」家族も含めて話し合いをするようになったといいます。現在の医療では完治することは難しいといわれている病気ですから向き合っていくしかないのだと気持ちを決めていかれるようです。

とはいえ、若年性アルツハイマーの場合は、まだまだ現役で働いていらっしゃる時期ですから生活に大きな変化が起きてしまいます。現実的な不安・将来への不安・恐怖が日々ご本人と周りの方を苦しめるのは事実です。そのような混乱の中にいらっしゃるご家族を取り巻く周囲の者たちに何が出来るのでしょうか?するべきことは何でしょう?

不安の一つになるであろう近隣の者たちへの気遣い(恥ずかしい…噂になる…)が無用だったら少し気持ちが楽になると思うのです。ひだまり日記を書かせていただく中でずっと言い続けてきましたが、「痴呆(認知症・アルツハイマー)は恥ずかしいことではありません」。前世がどうとか、普段の生活がどうとか、仲間を作らないからどうとか…そんなことではありません。

介護保険がこれほど社会に根付いている時代、これほど多くの情報が流れている時代です。「いつ誰がなっても不思議では無い病気」ということは十分お分かりのはずです。暖かく見守っていることを言葉や態度で伝えてあげてください。地域だから出来る「さりげなく見守る」というお手伝いがあるのです。

安心して徘徊できる…そんな地域が増えたら痴呆を恐れる気持ちが少しは和らぐと思うのです。何だか様子がおかしいと思ったらきちんと病院で診察を受け(つらいと思いますが、できれば精神科へ。適切な投薬などにつながります)、介護保険の認定・障害者手帳の交付(若年性アルツハイマーの場合は受けられることがあります)を受け福祉サービスを躊躇無く利用してください。

お付き合いのある方の様子がおかしいなと思ったらご家族にそれとなく教えて差し上げてください。家族が気づかない昼の時間帯にこれまでと違う行動をなさることがあるからです(毎日同じものばかり買っている・衣類が季節に合っていない・特に用がないのに何回も家に訪ねてくる…)。おっしゃりにくいと思いますが、結果的には痴呆を早く発見し、進行を抑えることにつながり、心無い人たちから笑いものにされずにすむのですから。

家族だけで介護することが美徳のように思われがちですが、絶対に間違っています。家族が自分の生活をこれまでのように続け、心身ともに疲れている状態で介護しきれるほど簡単な病気ではありません。先の見えない介護でもあります。どうか一刻も早くご家族が「痴呆」を受容して、福祉サービスをうまく取り入れ、少しでも介護を楽にしてください。楽になったと心にゆとりが出来たら、にっこり笑いかけてあげてください。ご本人はご家族の笑顔が一番うれしいのですから。

相変わらずの生意気をお許しください。

(ひだまり日記 2005年7月号掲載分)
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# by hidamari-blog | 2005-07-28 14:59 | 認知症

6月号:水虫に気づかないと

ジメジメの梅雨がやってきました。皆様、お変わりありませんか?
今日は「水虫」についてお話しましょう。毎度のことですが、私は医者でも看護士でもありませんから医療的なことは書けませんからご了承ください。

お年寄りの皮膚は乾いているので何となく水虫とは無縁のように思いませんか?ところが、介護の現場ではお年寄りの水虫をかなり見受けます。

ひだまりは、基本的に入浴をお受けしませんので足の状態を見るチャンスは少ないのですが、足の体操でソックスを脱いでいただいたり、むくみを理由に足浴をしていただいて観察するようにしています。

「爪水虫」のことは暴れん坊将軍もコマーシャルでやっています。爪が厚く硬く白濁しているようであれば「爪水虫」を疑って、できるだけ早く皮膚科専門のお医者様に診ていただいてください。以前、目が真っ赤にただれた方がいらっしゃいました。眼科受診の結果「水虫と同じような菌による炎症」という診断だったそうです。手足の爪に「爪水虫」がある方でしたので、その手で目を触ったことが原因のひとつかもしれないということでした(健康な方の場合、確率はそれほど高くないそうですが)。

私たちも入浴後に足指の間まで丁寧に拭く・乾燥させるということはあまりありませんね。特にお年寄りの場合は体を屈ませて、きちんと拭く事は難しいです。また、靴下の中の湿気を足温器や電気毛布などで暖かくしてしまうから水虫が生きやすい状況をつくりだしているのでしょう。

それでいてお年よりの皮膚で目に付くところはカサカサ乾燥していますので、足指の間などの隠れているところを調べることがないのです。どうぞ一度確かめてみてください。特に糖尿病をお持ちの方などの場合は治癒力が弱いですから、足のケアには気をつけて差し上げてください。

ただ、お年寄りの場合(特に女性)足を見せることに抵抗を感じる方がいらっしゃいますので拒否なさるようなら無理せず、入浴時などタイミングをみてさりげなく観察してください。今は水虫が無くても入浴後や清拭の後は指の間をよく拭いて、出来ればドライヤーでしっかり乾かしてください。

また、指輪をなさっている場合、不衛生になりがちです。水仕事の後・入浴後、足指と同様にしっかり乾かすようにしましょう。痴呆(認知症)の方の場合特に、手洗いや拭き方が雑になりがちです。できれば、指輪をはずしたほうがいろいろな意味で(落とした・無くなったということが起きる、排泄物が付着することがある等)良いのですが、むずかしいようであれば消毒綿を使いましょう。

水虫の手当てなどをなさった後、介護者の方も必ず良く手を洗い出来れば消毒しておきましょう。使用した爪切りやヤスリなども洗って消毒しておきましょう。これは、お年寄りのためだけではなくご家族皆様のためです。密閉容器にカット綿をある程度まとまった量入れて、消毒用エタノール(アルコール)をかけて保存します。いろいろなときに使えますので便利です。介護を必要となさる方がいらっしゃる場合、何箇所か(トイレ・台所・ベッドサイドは必ず)に消毒綿を用意しておくことをお勧めします。

付け加えますが、暑くなってってくると、ギャザーパンツ(紙パンツ)やパットなどをお使いの方はつらいです。想像できると思いますが, 通気性がよいといっても厚みがあるのでかなり蒸れます。この時期は冬と違って衣類も薄くなっていますので、トイレで手間取ることが少し減ります。ご家族の目と手がある時、たまには普通の下着にして差し上げるなどということもお考えください。

そして、タイミングを見てトイレに誘ってみて下さい。排尿排便の感覚を取り戻す良いきっかけになってオムツから離れられるかもしれません。オムツやギャザーパンツを使うことは少しの安心感であって、当たり前のことだと思わないでください。思い出しませんか?赤ちゃんのオムツはずしの時期を…。

注:アルコールや消毒薬はアレルギーの方がいらっしゃいますので確認してから使用してください。

(ひだまり日記 2005年6月号掲載分)
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# by hidamari-blog | 2005-06-28 14:58 | 高齢者

5月号:エンディングノートって

先日書類を捜している途中、あるものを見つけました。それはわたしの書いた「遺書」です。今から9年ほど前、骨髄移植のドナーに決まったときに書いたものです。ドナーになることを私自身はそんなに重いことと思っていなかったのですが、移植に至るまでの様々な手続きを経ていくうちに「こんなに大変なことなんだ」「もし私に何かあったら関わった方々に多大なご迷惑がかかるのだと」と分ってきました。そこで、数枚の便箋にその時に思い至った事を書き留めておいたのです。内容はもちろんここに書くことは出来ませんが、今読んでもその時の思いをきちんと伝えてあるなと思えるものです。

エンディングノートという言葉をご存知ですか?「老いじたく」とか「覚書」と言われるもので、回りの人たちに迷惑をかけないで自分自身の後始末ができるよう・またはしやすいように書き残すものです。遺言とは少し違います。本屋さんなどでご覧になったかもしれませんが、様々な形式・アイデアに富んだものが発行されています。私も一冊持っていますが、まだ書いてはいません。じっくり時間をかけて思い出しながら、懐かしい思いに浸りながら近いうちに書こうと思っています。内容を少し挙げてみましょう。

自分のプロフィール・病歴・重要書類の番号や保管場所・資産の状況・嗜好・好きな言葉・ペットのこと・形見分け・系図・知らせたい友人達・終末医療・尊厳死についてなどを書き込むようになっています。そして「老いじたくチェックシート」というのがあって、介護に関してなどの決定権は誰に頼みたいか?などを書くページがあります。

また、今現在の状態で将来を想像し「希望する介護サービスは何か」、「在宅で居たいか・施設に入りたいか」。細かいことになると「介護用の食事はレトルトのものでもかまわない」などの選択肢のある介護内容についても書かれてあります。自分史・葬儀用の写真を貼っておくページなどもあります。それ以外にたくさんの情報・アドバイスが書いてあるので、初めて聞く言葉などがわかりやすく説明されています。

この頃、若年性アルツハイマーのことを朝日新聞が取り上げていました。私も若年性アルツハイマーの方と関わっていますが、何を望んでいらっしゃるのだろう、どこへ行きたいと思っていらっしゃるのだろうと探る日々です。まだまだご本人が現役の年齢ですから心の中は嵐のように荒れているでしょう。焦りや不安は創造を絶するものでしょう。

言葉がスムーズであれば良いのですが、失語状態があると思いが伝わらないイライラも追い討ちをかけるのです。介護されるご家族も「その方の一部」しか分らないのだということに愕然となさるようです。福祉サービスの担当者からはご本人についての情報を提供するように言われます。

介護を必要とするなど考えてもいなかったのですから、細かい心の動きや考え方などを知ろうとなさることはなかったでしょう。ご家族お一人お一人も自分自分の日常をこなすのに必死ですからそれは当たり前です。私の家族も今私に介護が必要になったとしたら分らない事ばかりだと思います。

そんな時、エンディングノートが用意してあったら、どんなに助かるでしょう。現実を直視する辛さもあるかもしれないですが、ご本人はきっと「そうそう、そこに書いてあるとおりにしてね。」「家族に負担をかけるのは最低限にしたいよ」・・・と言葉に出来なくても心の中でホッとされることでしょう。

意思表示が出来ないからと言って、何も感じない・傷つかないと言うわけではありません。家族たちが喧嘩したり、もめたり、押し付けあったりしているのは見たくないし聞きたくないでしょう。現実に介護に関わっていらっしゃるご家庭の話などでそのような話を耳にされることがおありでしょう。

全く何事もなく平和に進んでいくなどということは無いでしょうが、いくらかでも回りの方たちを楽にして差し上げられるように準備するのが家族の一人としての大切な役割なのではないかと思うのです。皆様も一度お考えくださいませんか?ちょっと悲しいかもしれないですけれど、大切なご家族ご親戚のお顔を思いながら、穏やかな将来のために・・・。

(ひだまり日記 2005年5月号掲載分)
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# by hidamari-blog | 2005-05-28 14:57 | 高齢者

4月号:全ての障害者が善人ではない

拉致被害者の方を支援する会としてNPO法人が偽募金を集めていたと言うニュース。宗教としか思えないNPO法人からの手紙。どうしてこんなところを「特定非営利活動法人(NPO法人)」として許可するのかと、怒りを覚えます。

ひだまりは特定非営利活動法人です。デイサービス事業所になるための「法人格」。悩んだ末に決めたことです。申請には膨大な雛型にそった書類の提出が必要です。書類が揃い、非営利であれば内容を吟味することなく認証するようです。でも、実際にNPO法人を名乗る悪徳グループがたくさんある以上、安易に認証するのは問題です。そして、もう一つ今回あえて批判を覚悟で言いたいのは「障害者=善人」とは限らないということです。

ひだまりの前身「地域ケア拠点グループひだまり」は私ともう一人の女性・Y が11年4月にアパートの2部屋を借りて始めました。Yは難病の膠原病が原因で車椅子の生活でした。介助ボランティアで出会った人です。話していて「地域で福祉」という思いを持っていると知りました。正直言うと第一印象で「この眼は苦手だな」と感じたし、具体的な話の中にいくつものズレがありました。が、病気と戦い障害を持ちながらも人のために力を使いたいという思いに、自分の一抹の不安を押さえ込んでいました。

Yは人生経験が多く、資格はないもののワープロ、経理何でもこなし、NHK放送大学の学生でした。移動が困難なYは事務・電話番を担当し、私はボランティア活動全般・Yの身の回りの世話を担当しました。「もうお金ないよ」と言われると銀行に行き・集金したお金はYに預けました。Yは生活保護受給者なので給料は不要でした。貧乏ボランティアにとってはありがたかったです。

みなさん、ここまでお読みになって想像がお付きでしょう。そうです、約80万円Yに騙されてしまいました。ある日Yが入院することになりその日まできちんと計算できていると言って預けていったはずの帳簿・現金。開いてみると、ある日から帳簿が空白なのです。

私が無知だからだと思い、仲間にも見てもらったのですが皆「おかしいよ」というのです。帳簿と首っ引きの毎日、「疑ってはいけない」と何日も悩み、食事も睡眠も取れない状態になってしまいました。見舞いに行ったときに尋ねると「おかしいわね」というだけ。…結局退院してきたYに「もう一緒に仕事は出来ない」と伝え縁を切りました。が、隣室に居座っているので毎日とてもつらかったです。

何より毎日遊びに来てくれている子供達にYに近づかないでとも言えず、本当に苦しみました。人間不信ということをそのとき初めて知りました。しばらくしてアパートの取り壊しが決まりひだまりは引っ越しましたが、Yはそれからもずっと居座っていました。

Yの部屋には目の不自由な女性がご家族ぐるみで出入りされていたし、パソコンを一生懸命運び込んでいる女性達も見かけました。「気をつけて…」というべきかと悩みながらも結局声をかけることはできず、その方々が騙されないこと祈るだけでした。Yがやっと引っ越してアパートは新しくなりました。ある日、YがガイドヘルプのNPO法人理事長の肩書きで大きなシンポジウムのパネラーとして出ている記事を見ました。今度は誰をまきこんだのだろうと思いながらも自分の目の前にいなくなっていることにホッとしていました。

ところが、昨年一本の電話がかかってきました。私と話したいと必死で言っているのです。何だろうと思ってお目にかかると、車椅子の女性と介助について来た女性のお二人が「Yを知っていますか」と。二人はYのグループの理事さん達でした。車椅子の女性は「資金が足りない」と言われるたびに一生懸命貯めてきたお金を都合してきたらしいのです。

総会のための収支を出すようにとYに言うと、経理処理がハッキリしない。おかしいと思い尋ねるとあれこれ理屈を言って開き直る。私の時よりさらに悪い仲間がついているらしく、あくどくなっているようでした。私が被害にあったという情報をどこかから得て尋ねてこられたのです。額ははるかに多い約400万円とのことでした。その後、細かい情報はありませんがグループは解散したようです。先日友人からYがまた、NPOを立ち上げるらしいと聞きました。恐ろしいです。また騙される人が出るでしょう。Yは「善人」にならないでしょう。

福祉がお金になると思う人がたくさんいる社会です。寄付をしようと思った時・福祉サービスを使おうと思うとき、「NPOだから大丈夫」「ボランティアだから安心」「障害を持った方だから気持ちを良く分ってくれる。信じられる。」などと絶対に思わないで下さい。

淋しいことですが、まず疑って調べてからにしてください。「基準は?」と聞かれても答えられませんが、私の反省としては「第一印象を信じればよかった」と思っています。人間不信を消してくれたのは人間でしたが、心の中に傷は残っています。福祉に関わる人間が人の心に傷をつけてはいけないと心から思います。嫌な話でしたが、皆様心の片隅に止めておいてください。

(ひだまり日記 2005年4月号掲載分)
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# by hidamari-blog | 2005-04-28 14:56 | ボランティア

3月号:痴呆症と運転

「痴呆」という言葉は侮蔑的なイメージがあるということで「認知症」という言葉に変わります。以前は「呆け」でした。言葉を変えるたびに役所などの多くの書類は全部作り直しています。数年たつと又変わるでしょう。言葉が悪いのではなく、使う側・受け取る側の問題なのに…。ひだまり日記は「認知症」という言葉が一般的になるまで「痴呆」という言葉を続けます。今回は痴呆の方の運転について書きます。

高速道路・自動車専用道路などで起きた逆走事故、このほとんどが「痴呆高齢者」によるものだったそうです。事故になったから目立ちますが、一歩手前のことはもっとたくさん起きていると思います。高齢者の運転については法的にも決められています。70歳以上の運転者は高齢者マーク(オレンジ色の葉っぱ)をつけることができます。「高齢者運転中・温かく見守って下さい」という保護の意味です。若葉マークと同じ意味です。そのかわり、高齢運転者自身にも義務があります。免許証更新時前3ヶ月以内に運転適正指導という高齢者講習を受けなければなりません。詳しいことは試験場や公安委員会にお問い合わせください。

ところが、痴呆の方の場合、こういうシステムは意味が無いのです。70歳である自覚は無いでしょう。またお元気だった頃にご本人がお考えになって「危なくなったから運転を止める」と免許証を返還なさった方も痴呆のため「もう免許証はない」ということをすっかり忘れてしまうのです。運転そのものは出来ますから車に乗って出かけます。ある日ご家族はボコボコになった車を見て驚くことになります。「どこにぶつけたの」と聞いてもご本人には覚えていません。逆にご家族がぶつけたんだろうと文句を言うことになります。その程度の事だったら良いのですが、逆走などで事故を起こした場合は大変なことになります。ご本人の痴呆を知っていて運転を続けさせていらっしゃったことでご家族の責任は大きいです。

免許証の有無は意味が無いことがお分りいただけたと思います。ではどうやって運転を止めさせるのでしょう。「車が無い」「動かない」ということです。他に運転されるご家族がいらっしゃらなければ車を手放すことが一番でしょう。運転されるご家族がいらっしゃる場合は駐車場を変えるのが一番。またはウソでも「今日は家族の○○が使うから乗らないで」と言って止めます。ただしそのことを忘れてしまいますから、紙に書いてハンドル・ドア・鍵など数箇所に貼っておきましょう。

「ハンドルをはずす」「キーを隠す」などの方法もありますが、これは見て分ってしまうため怒らせてしまうでしょう。家族との関係が悪くなることが予測されます。私は「バッテリーをはずす」方法をお勧めします。ご本人が運転なさろうとしてもエンジンがかかりません。ボンネットの中を見る可能性は少ないと思いますので「故障している」と思われるでしょう。万が一ボンネットの中をご覧になって「バッテリーが無い」と言われたら「古くなったから交換のため注文している」などと言えばよいでしょう。

修理工場などに連絡してしまう可能性がありますから、車検証入れ電話番号簿などに「××修理工場」の番号をご家族やご親戚のものに書き換えておくと良いでしょう。もし実際に電話がかかってきたら上手に演技してください。間違ってもその時に「何言ってるの!車に乗ったらダメって言ったでしょう」等と言ってしまうと全てが無駄になってしまいます。

「修理屋さん」になりきって、「今日は無理だけど明日行きます」とか「バッテリーを注文しているので入荷したらすぐに持っていきます」などと言っておけばとりあえず収まるでしょう。いずれの場合もご本人のプライドを満足させるような言い方をなさってください。痴呆の方の思考回路は同じ事の繰り返しですから、電話は何回もかかるでしょうが、事故を起こしたり、一生償っていくよりずっと良いはずです。何年も続くことはありませんから、家族のトラブルも、ご本人の喪失感や苛立ちも最低限にする方法だと思います。

アルツハイマー型老年痴呆を治すことは難しいですが、早期に発見することで進行を抑えるとか、穏やかに過ごしていただく方法など、各方面のアドバイスを受けることが出来ます。「ちょっとおかしい…?」と思ったらかかりつけのお医者様、ケアプラザ、区役所などとにかく相談してください。旭区は17年度に痴呆(認知症)について真剣に取り組むようです。ひだまりもそのメンバーです。ご遠慮なくご相談ください。

(ひだまり日記 2005年3月号掲載分)
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# by hidamari-blog | 2005-03-28 14:55 | 認知症



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