ひだまり日記

カテゴリ:子どもたち( 3 )

心の痛みを知ることは・・・

毎日、新聞やニュースでは見たくないほど殺人や虐待の話題が流れます。

「子供たちに命の大切さを教えよう!」などと言うけれど、どうやって教えるのでしょう。殺人や戦いの映像やゲームが氾濫していたら感覚が麻痺するのは当たり前です。大人が騙し合い、簡単に殺人事件を起こし、弱い者を虐待しているのを見聞きしている子供たちが真似をしても無理は無いでしょう。子供達自ら「大人は悪いけど、自分たちは正しいことをしよう」…と考えてくれたら、素晴らしいとは思いますが。

私は戦争を経験なさった方たちから、多くの貴重な体験を伺います。女性たちは「銃後の守り」「戦地に送り出す苦しさ」を。兵隊に行かれた男性方からは「戦友を失った悲しみ」「捕虜になった思い」などを伺います。皆さん、搾り出すように話されます。敵を倒さざるを得なかった方たちです。国を家族を守るためと言われ必死で戦った方たちです。

そのとき敵の命を絶った経験を持つ方たちですが、戦後も平気で人や小動物を殺したり傷つけたりなさったでしょうか? そんなことはありません。私たちよりはるかに「自分を律する力」「己に克つ力」「良心に従う強い心」を持っておいでです。この時代この精神力を身に着けることは少し難しいかもしれません。
せめて優しさの基本「自分がされたら嫌だと思うことを人にしてはいけない」ということを教えるしかないのでは?と思うのです。

犬や猫があちらの店でもこちらのホームセンターでも売られています。売れるからと、どんどん繁殖させてしまう業者。命を簡単に商品として並べる店。「可愛い」と縫いぐるみのように買っていく無責任な人たち。実際に飼うと、躾けも大変でめんどくさい・うるさい・病気をする・手間がかかる…とゴミのように捨ててしまう。(市民の安全の為に繁殖しすぎた野良犬を捕獲する役目を担っていた動物管理センターは、今、野良犬は減って「飼えない」と連れてこられる犬や猫が増えていると聞きました。)
『お店の狭いガラスケースの中から、暖かく幸せなお家に連れて行ってもらえて、みんなに可愛いって抱きしめてもらった。うれしくて思い切り遊んでジャレたら『痛い』って。おシッコしたくなってしたら『こんなところにしちゃダメ』って。どうして?分からないのに…教えてくれたら一生懸命覚えようと思ったのに…。優しかった人たちが居なくなって、急にまた狭い柵の中に連れて行かれたの。他にもたくさん知らない子達がいたの。で、少ししたら…』―――こんな風に書いているだけで涙が出ます。

自分のもとに生まれてきた大切な子供さえも、「うるさいおもちゃ」のように思う親もいる時代。ものが溢れ、命を大切なものだと認識できないこの時代をどうすれば良いのでしょう。

「あなたがこの子猫だったら…どう思う?」「あなたが○○チャンだったとして、無視されたらどう感じる?」「道に落ちているガムを踏んでしまったら、どう思う?」「イライラするからと親にぶたれたらどう思う?」「狭い道で大きな車がスピードも落とさずギリギリに走ったらどう?」
命あるものの心の痛みを想像できない大人たちが、柔らかい子供たちの心を荒れたものにしてしまっているのではないかと思います。

大人とはもちろん「親」だけではありません、社会そのものです。ただ社会とは、一番小さな核である家庭が集まって作られていると思うので、やはり一番大切なのは家族・家庭の考え方でしょう。偉そうに言っていますが決して私は立派な親ですなどと言っているのではありません。反省をこめて生意気を承知で書いています。

子育てほど難しいものはありません。親もその子の親をやるのは初めてです。何人子供が居ても一人ひとりが個性の塊で「その子」とは「初めまして」なのですから。情報が氾濫し人間不信になりそうな今の世の中で子育てをすることは、どれほど困難なことか想像できます。でも、素晴らしい可能性を持った大切な大切な命です。地域ぐるみで「広い視野と澄んだ瞳と心を持った素敵な人」に育てていきたいものです。

夏休みも残りわずか、素敵な思い出を作って差し上げてください。 では、また次回。
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by hidamari-blog | 2006-08-27 13:41 | 子どもたち

2月号:大人が見本を示さないと

犬の糞を踏んでしまった小学生がそれが原因でいじめにあってしまうと聞きました。
やりきれない思いを感じる出来事が身の回りで立て続けに起き、新聞やテレビのニュースは見たくなくないほどいやな事件が山ほど…。このところ筆者は落ち込んでいます。

「自分がされて嫌だと思うことは人にしない。自分が言われて嫌だと思うことは人に言わない」小さい頃からこの言葉を言われて育ちました。皆さんもそうだったのではありませんか?

私は子供の頃、おせっかいが過ぎて意地悪な子でした。大人になってからも人の心を傷つけたことがたくさんあったと思います。汗顔の至りです。だから偉そうなことはもちろん言えません。でも、誰もが皆「前出の言葉」を心にとめていたなら、街中で起きる「ささいな」でも「人の心をささくれ立たせてしまう」トラブルの多くが解決するように思うのです。

犬の糞を自分が踏んでしまった時に「やった!ウンがついた!」と冗談のように喜べる方が何人いるでしょうか?ほとんどの方が嫌な気分になり顔の見えない飼い主と犬に対して怒りを覚えるでしょう。糞をそのままにして帰ってしまった飼い主さん本人だってそんな経験をしているはず。野良犬がほとんどいなくなった今の時代、飼い犬の落し物であることは明らかです。(ネコは柔らかい土や砂の上を好むのでアスファルトの上にはまずしません)。

糞をとることなんて造作の無いことなのに始末しないというのはどういうことなのか、理解できません。ご自分の子供さんやお孫さんが「こいつ、犬の糞を踏んだ!キッタネー!」と言われていじめられたとしたら、どうします?それでも平気で片付けずに帰るのだとしたら本当に犬が好きなのではないでしょう。飼う権利なんてないです!!人の心をもっているなんて思えないです。

福祉教育などと大々的なテーマが学校教育のカリキュラムに取り入れられています。やらないよりは良いかも知れないけれど、1年に数回無理やり特定の障害について取り上げることがどれほど意味があるのだろうと思います。そんなことより「自分がされて嫌だと思うことは人にしない。自分が言われて嫌だと思うことは人に言わない」ことを教えるほうがよっぽど大切なように思います。

そしてそれは学校だけがやることではないです。むしろ、家庭や地域社会で大人たちが言葉とともに実践してみせることが一番の教育でしょう。

狭い通りで傘を差した子どもが家の塀にへばり付くようにして避けてくれているのに、ありがとうの一言さえ言わずに水しぶきをあげて走り去る車の運転者がいるようでは…。犬の糞をとりもしない大人がいるようでは…。無灯火で子供の脇をギリギリにすり抜けていく大人がいるようでは…。温かい心を持った子供が育つわけが無いじゃないですか。

大人たちが今しなければいけないことは「人としての心を取り戻すこと」なのではないかと思います。大人の心は疲れて、ささくれだっているのです。「癒し」という言葉が流行るのもそのためでしょう。前回のひだまり日記に書いた文章「今は天国におられるであろうお母様のお腹の中に帰っていく」を評価してくださった方が何人か居られました。

人は皆「優しく受け止めてもらいたい・柔らかさに包まれたい」と思います。でも実生活の中で誰が誰をどのように受け止めてくれるのでしょうか。それが満足できないから心が癒されずにささくれてしまい、人に対しての思いやりを持つ余裕がなくなってしまうのでしょう。

心にゆとりを持てている人が少しづつ少しづつ周りに「柔らかさ」を分けていってください。その柔らかさが人から人に伝わっていって一人でも多くの人のささくれが治っていったら…。きっとやさしい町に変われると信じています。

今回のひだまり日記は少し変でしたね。ごめんなさい。次回はもう少し元気でお目にかかります。

(ひだまり日記 2005年2月号掲載分)
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by hidamari-blog | 2005-02-28 14:54 | 子どもたち

元旦号:子どもの心に思いやりの種を

皆様あけましておめでとうございます。本年も〔ひだまり日記〕よろしくお願い申し上げます。

 先日、ひだまりに横須賀の中学二年生が二人見学に来ました。その一人、Kちゃんはこの地域の小学校に通っていましたが、五年生になるときお父さんの転勤で横須賀に越しました。Kちゃんが四年生のとき、小学校で手話を体験する時間があり、私が講師として参加しました。それがきっかけで十人ほどの子供たちが手話グループを作り三年間私が教えました。私は以前緑区に住んでいたのですが、そこでも子供や中学生に教えていました。手話だけを教えるのは本意ではありません。子供たちの柔らかい心に「思いやる気持ち」の種を蒔くのが目的です。障碍のある方だけではなく自分より年下の子やお年より、ねこ・犬・小鳥・虫など命あるものすべてに自分の出来る方法で思いやりをあらわすことの出来る人になってほしいと思うのです。手話はそのきっかけの一つです。

 興味を持つことで聴覚障碍のことを知るチャンスが出来ます。聴覚障碍とはどういう障碍なのか?どんなお手伝いが必要なのか?目の障碍は?お年よりの場合は?・・・と、思いが広がっていってほしいのです。これこそが心のバリアフリー(生活する上で障壁となるものをなくすこと)につながると思うのです。建物や道路がバリアフリーになったとしても、人の心の中に壁(偏見や無視、無理解)があっては何の意味ももたないのです。

 そんな思いで蒔いた種から小さな芽が出てきています。Kちゃんは手話通訳士になる勉強をしたいといっています。あの四年生の中には、今この地域の中学校で手話部に入ってがんばっている子もいます。緑区の子の中には福祉専門学校に入って介護職を目指している子がいます。職業として選んでくれなくてもかまわないのです。「手伝って」という声を聞かなくても「お手伝いしましょうか」と声をかけられる人であってほしい。私の知らないところであの子達が〔どこかでどなたかにやさしい手を差し伸べてくれている〕と信じているのです。そう考えると子供たちに関われることをうれしく思うし、とても幸せな気持ちになるのです。

 ただ心配なのは、やさしい気持ちで勇気をもって声をかけたのに「結構です」と断られることです。私自身何回もそういう経験をしています。根っからのおせっかい焼きですから、そんなことでめげませんし馴れていますが、子供たちの心が傷つくことは心配です。もし、子供さんがそういう経験をしたと分かったらぜひアドバイスしてあげてください。「その方はお手伝いがなくても大丈夫だったのでしょう。お手伝いしたかどうかが大切なのではなくて、お手伝いしようとしたことがとても大事。その方を無視していないこと、その方が社会の中で孤立していないことを知っていただけてよかった。あなたのお手伝いを必要とする方が必ず居られるから、出来るときがあったらこれからも声をかけてあげて」と。そして何より大人たちがお手本を示してあげてほしいです。もし断られたときには一言「そうですか、ではお気をつけて」とさらっと言えると素敵ですよね。

 そしてもう一つ。お手伝いの方法が分からないときです。車椅子の方が居られても操作の仕方が分からないとか、白杖(目の不自由な方の杖)の方を誘導することなど。その時はご本人に伺うことが一番です。基本的な方法を勉強するチャンスがあったらぜひ体験していただきたいですが、介助方法が違う場合もあるので「どうお手伝いすればよろしいですか」と謙虚に聞いたほうが良いと思います。こちらの知識や方法を押し付けないことも大切です。そして、無理をしてやらないこと。せっかくの好意が相手の方にとって危険だったり自分が怪我をしたりするようでは意味がありません。基本は〔出来るときに出来ることを出来るだけ〕です。電車の中でお年よりに席を譲ることと、車椅子を四人がかりで駅のホームへ運ぶこと・・大きな違いがあるように見えますが心の豊かさは同じです。それが何より素晴らしいと思うのです。

今回もありがとうございました、またお目にかかります。

(ひだまり日記 2003年元旦号掲載分)
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by hidamari-blog | 2003-01-01 10:55 | 子どもたち



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