5月号:エンディングノートって
先日書類を捜している途中、あるものを見つけました。それはわたしの書いた「遺書」です。今から9年ほど前、骨髄移植のドナーに決まったときに書いたものです。ドナーになることを私自身はそんなに重いことと思っていなかったのですが、移植に至るまでの様々な手続きを経ていくうちに「こんなに大変なことなんだ」「もし私に何かあったら関わった方々に多大なご迷惑がかかるのだと」と分ってきました。そこで、数枚の便箋にその時に思い至った事を書き留めておいたのです。内容はもちろんここに書くことは出来ませんが、今読んでもその時の思いをきちんと伝えてあるなと思えるものです。
エンディングノートという言葉をご存知ですか?「老いじたく」とか「覚書」と言われるもので、回りの人たちに迷惑をかけないで自分自身の後始末ができるよう・またはしやすいように書き残すものです。遺言とは少し違います。本屋さんなどでご覧になったかもしれませんが、様々な形式・アイデアに富んだものが発行されています。私も一冊持っていますが、まだ書いてはいません。じっくり時間をかけて思い出しながら、懐かしい思いに浸りながら近いうちに書こうと思っています。内容を少し挙げてみましょう。 自分のプロフィール・病歴・重要書類の番号や保管場所・資産の状況・嗜好・好きな言葉・ペットのこと・形見分け・系図・知らせたい友人達・終末医療・尊厳死についてなどを書き込むようになっています。そして「老いじたくチェックシート」というのがあって、介護に関してなどの決定権は誰に頼みたいか?などを書くページがあります。 また、今現在の状態で将来を想像し「希望する介護サービスは何か」、「在宅で居たいか・施設に入りたいか」。細かいことになると「介護用の食事はレトルトのものでもかまわない」などの選択肢のある介護内容についても書かれてあります。自分史・葬儀用の写真を貼っておくページなどもあります。それ以外にたくさんの情報・アドバイスが書いてあるので、初めて聞く言葉などがわかりやすく説明されています。 この頃、若年性アルツハイマーのことを朝日新聞が取り上げていました。私も若年性アルツハイマーの方と関わっていますが、何を望んでいらっしゃるのだろう、どこへ行きたいと思っていらっしゃるのだろうと探る日々です。まだまだご本人が現役の年齢ですから心の中は嵐のように荒れているでしょう。焦りや不安は創造を絶するものでしょう。 言葉がスムーズであれば良いのですが、失語状態があると思いが伝わらないイライラも追い討ちをかけるのです。介護されるご家族も「その方の一部」しか分らないのだということに愕然となさるようです。福祉サービスの担当者からはご本人についての情報を提供するように言われます。 介護を必要とするなど考えてもいなかったのですから、細かい心の動きや考え方などを知ろうとなさることはなかったでしょう。ご家族お一人お一人も自分自分の日常をこなすのに必死ですからそれは当たり前です。私の家族も今私に介護が必要になったとしたら分らない事ばかりだと思います。 そんな時、エンディングノートが用意してあったら、どんなに助かるでしょう。現実を直視する辛さもあるかもしれないですが、ご本人はきっと「そうそう、そこに書いてあるとおりにしてね。」「家族に負担をかけるのは最低限にしたいよ」・・・と言葉に出来なくても心の中でホッとされることでしょう。 意思表示が出来ないからと言って、何も感じない・傷つかないと言うわけではありません。家族たちが喧嘩したり、もめたり、押し付けあったりしているのは見たくないし聞きたくないでしょう。現実に介護に関わっていらっしゃるご家庭の話などでそのような話を耳にされることがおありでしょう。 全く何事もなく平和に進んでいくなどということは無いでしょうが、いくらかでも回りの方たちを楽にして差し上げられるように準備するのが家族の一人としての大切な役割なのではないかと思うのです。皆様も一度お考えくださいませんか?ちょっと悲しいかもしれないですけれど、大切なご家族ご親戚のお顔を思いながら、穏やかな将来のために・・・。 (ひだまり日記 2005年5月号掲載分)
by hidamari-blog
| 2005-05-28 14:57
| 高齢者
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