ひだまり日記

2月号:大人が見本を示さないと

犬の糞を踏んでしまった小学生がそれが原因でいじめにあってしまうと聞きました。
やりきれない思いを感じる出来事が身の回りで立て続けに起き、新聞やテレビのニュースは見たくなくないほどいやな事件が山ほど…。このところ筆者は落ち込んでいます。

「自分がされて嫌だと思うことは人にしない。自分が言われて嫌だと思うことは人に言わない」小さい頃からこの言葉を言われて育ちました。皆さんもそうだったのではありませんか?

私は子供の頃、おせっかいが過ぎて意地悪な子でした。大人になってからも人の心を傷つけたことがたくさんあったと思います。汗顔の至りです。だから偉そうなことはもちろん言えません。でも、誰もが皆「前出の言葉」を心にとめていたなら、街中で起きる「ささいな」でも「人の心をささくれ立たせてしまう」トラブルの多くが解決するように思うのです。

犬の糞を自分が踏んでしまった時に「やった!ウンがついた!」と冗談のように喜べる方が何人いるでしょうか?ほとんどの方が嫌な気分になり顔の見えない飼い主と犬に対して怒りを覚えるでしょう。糞をそのままにして帰ってしまった飼い主さん本人だってそんな経験をしているはず。野良犬がほとんどいなくなった今の時代、飼い犬の落し物であることは明らかです。(ネコは柔らかい土や砂の上を好むのでアスファルトの上にはまずしません)。

糞をとることなんて造作の無いことなのに始末しないというのはどういうことなのか、理解できません。ご自分の子供さんやお孫さんが「こいつ、犬の糞を踏んだ!キッタネー!」と言われていじめられたとしたら、どうします?それでも平気で片付けずに帰るのだとしたら本当に犬が好きなのではないでしょう。飼う権利なんてないです!!人の心をもっているなんて思えないです。

福祉教育などと大々的なテーマが学校教育のカリキュラムに取り入れられています。やらないよりは良いかも知れないけれど、1年に数回無理やり特定の障害について取り上げることがどれほど意味があるのだろうと思います。そんなことより「自分がされて嫌だと思うことは人にしない。自分が言われて嫌だと思うことは人に言わない」ことを教えるほうがよっぽど大切なように思います。

そしてそれは学校だけがやることではないです。むしろ、家庭や地域社会で大人たちが言葉とともに実践してみせることが一番の教育でしょう。

狭い通りで傘を差した子どもが家の塀にへばり付くようにして避けてくれているのに、ありがとうの一言さえ言わずに水しぶきをあげて走り去る車の運転者がいるようでは…。犬の糞をとりもしない大人がいるようでは…。無灯火で子供の脇をギリギリにすり抜けていく大人がいるようでは…。温かい心を持った子供が育つわけが無いじゃないですか。

大人たちが今しなければいけないことは「人としての心を取り戻すこと」なのではないかと思います。大人の心は疲れて、ささくれだっているのです。「癒し」という言葉が流行るのもそのためでしょう。前回のひだまり日記に書いた文章「今は天国におられるであろうお母様のお腹の中に帰っていく」を評価してくださった方が何人か居られました。

人は皆「優しく受け止めてもらいたい・柔らかさに包まれたい」と思います。でも実生活の中で誰が誰をどのように受け止めてくれるのでしょうか。それが満足できないから心が癒されずにささくれてしまい、人に対しての思いやりを持つ余裕がなくなってしまうのでしょう。

心にゆとりを持てている人が少しづつ少しづつ周りに「柔らかさ」を分けていってください。その柔らかさが人から人に伝わっていって一人でも多くの人のささくれが治っていったら…。きっとやさしい町に変われると信じています。

今回のひだまり日記は少し変でしたね。ごめんなさい。次回はもう少し元気でお目にかかります。

(ひだまり日記 2005年2月号掲載分)
by hidamari-blog | 2005-02-28 14:54 | 子どもたち
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