ひだまり日記

3月号:手話と聾者

今月始め、久しぶりの平日休みに何気なくテレビをつけました。素適な物語と美しい手の動きが手話ブームを巻き起こしたドラマの再放送でした。聴覚障碍の男性と健聴の女性との恋愛を描いたものです。

15年ほど聴覚障碍の方たちと関わってきた私は「手話の一人歩き」に苦言を呈したくなるのです。
ここから今回の内容となる聴覚障碍者を「聾者」と表現します。正確なくくりではないのですが「手話を主たる伝達手段とする聴覚障碍者」という考え方です。

読者の皆様の中に、コーラスやダンス・お遊戯などで手話に出会ったことのある方がたくさん居られると思います。

また、テレビや様々な講演会の場面で手話・手話通訳をご覧になることもあるでしょう。楽しそう・簡単そうに見えるでしょう。興味をもってくださるきっかけとして大切なことだと思います。ただ、手話を必死で伝えつづけてきた聾者の思いを分かっていただきたいと思うのです。

聾とは見ただけでは分からない障碍です。障碍者がさげすまれていた時代、人の前に出してもらえなかった聾者がたくさんいたといわれます。人前で手話(手まね)を使うことを厳しく禁じられたといいます。

そんな中でも、聾者同士は隠れてでも手話を使い話していたというのです。健聴社会で生きるのに必要な言語を獲得するはずの国語の授業も、「先生の口が、ぱくぱく動くだけの教え方」では理解できなかったのです。聾学校の休み時間、トイレは手話で話す生徒で満員だったと聞きました。

今でも、ほとんどの聾学校で手話を禁じています。健聴の社会に無理やり聾者を引きずり込んでいるのです。そのような苦しみの中で「守りつづけた手話」なのです。

健聴の私達が物を考えるとき・文章を書くときは、自分の頭の中で音の無い声がしゃべって文章を組み立てているでしょう。

分かりやすい言葉、ふさわしい文章などが耳から情報としてたくさん入っていて、その引出しの中から文章や言葉を選び、普段はそれを言語として話しているのでしょう。それほど、耳からの情報量というのは多いのです。

では、耳からの情報をもたない聾者が物を考える・文章を書くときに使う情報は何だと思われますか?「目で見たこと・もの」(見たことのある「文字」である場合も)と「手話」です。

「伝統的な手話」は単語が並べられているだけです。助詞や助動詞などはほとんどないのです。

たとえば、「ご無沙汰いたしまして」という言葉を手話で表すとしたら「ひさしぶり・会う」というようになります。

表情や動きで丁寧さや、会わなかった時間の長さが表現されるのです。これだけ差があるのですから、限られた数の手話単語だけで表現する聾者にとって健聴者との「筆談」はとても難しいものなのです。若い聾者達はメディアの発達で目からの情報が多くなり文章も健聴者と変わらないものになっていますが、年配の聾者は学ぶチャンスが無かったために文章が苦手な方が多いです。

前述のドラマの中で聾の男性が手紙を書く場面がありました。文章は俳優さんの声で読み上げられました。心を打つ見事な文章でしたが、他の場面で主役の男性が使っている手話を見る限り、あの文章を書けるとは思えないのです。

聴覚障碍者についてご存知ない方が見れば「聞こえないだけで筆談は(文章は)健聴と同じにできる」と誤解されてしまいそうです。聾者にとっては書くことも、意味を読み取ることも本当に難しいのです。もし、聾者と関わられることがありましたら次のことにご配慮いただきたいです。


「筆談はメモ書きのように簡単に」「話すときに口を隠さず、時には身振りをつけて」「くり返して確認する」ということです。手話だけに興味を持たず、「聾者を」「聞こえないということ」をご理解いただけるとうれしいです。

ひだまりは「手話文化の中で生きてきた聾高齢者」のための専用施設をつくるために5年間活動してきました。つらい時代を生きてきた聾高齢者が、残された日々、安心して自分達の言語を使って過ごせるような施設です。今年は一歩夢に近づけそうです。そのときはご報告します。

(ひだまり日記 2004年3月号掲載分)
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by hidamari-blog | 2004-03-28 14:42 | 聾者
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