ひだまり日記

元旦号:子どもの心に思いやりの種を

皆様あけましておめでとうございます。本年も〔ひだまり日記〕よろしくお願い申し上げます。

 先日、ひだまりに横須賀の中学二年生が二人見学に来ました。その一人、Kちゃんはこの地域の小学校に通っていましたが、五年生になるときお父さんの転勤で横須賀に越しました。Kちゃんが四年生のとき、小学校で手話を体験する時間があり、私が講師として参加しました。それがきっかけで十人ほどの子供たちが手話グループを作り三年間私が教えました。私は以前緑区に住んでいたのですが、そこでも子供や中学生に教えていました。手話だけを教えるのは本意ではありません。子供たちの柔らかい心に「思いやる気持ち」の種を蒔くのが目的です。障碍のある方だけではなく自分より年下の子やお年より、ねこ・犬・小鳥・虫など命あるものすべてに自分の出来る方法で思いやりをあらわすことの出来る人になってほしいと思うのです。手話はそのきっかけの一つです。

 興味を持つことで聴覚障碍のことを知るチャンスが出来ます。聴覚障碍とはどういう障碍なのか?どんなお手伝いが必要なのか?目の障碍は?お年よりの場合は?・・・と、思いが広がっていってほしいのです。これこそが心のバリアフリー(生活する上で障壁となるものをなくすこと)につながると思うのです。建物や道路がバリアフリーになったとしても、人の心の中に壁(偏見や無視、無理解)があっては何の意味ももたないのです。

 そんな思いで蒔いた種から小さな芽が出てきています。Kちゃんは手話通訳士になる勉強をしたいといっています。あの四年生の中には、今この地域の中学校で手話部に入ってがんばっている子もいます。緑区の子の中には福祉専門学校に入って介護職を目指している子がいます。職業として選んでくれなくてもかまわないのです。「手伝って」という声を聞かなくても「お手伝いしましょうか」と声をかけられる人であってほしい。私の知らないところであの子達が〔どこかでどなたかにやさしい手を差し伸べてくれている〕と信じているのです。そう考えると子供たちに関われることをうれしく思うし、とても幸せな気持ちになるのです。

 ただ心配なのは、やさしい気持ちで勇気をもって声をかけたのに「結構です」と断られることです。私自身何回もそういう経験をしています。根っからのおせっかい焼きですから、そんなことでめげませんし馴れていますが、子供たちの心が傷つくことは心配です。もし、子供さんがそういう経験をしたと分かったらぜひアドバイスしてあげてください。「その方はお手伝いがなくても大丈夫だったのでしょう。お手伝いしたかどうかが大切なのではなくて、お手伝いしようとしたことがとても大事。その方を無視していないこと、その方が社会の中で孤立していないことを知っていただけてよかった。あなたのお手伝いを必要とする方が必ず居られるから、出来るときがあったらこれからも声をかけてあげて」と。そして何より大人たちがお手本を示してあげてほしいです。もし断られたときには一言「そうですか、ではお気をつけて」とさらっと言えると素敵ですよね。

 そしてもう一つ。お手伝いの方法が分からないときです。車椅子の方が居られても操作の仕方が分からないとか、白杖(目の不自由な方の杖)の方を誘導することなど。その時はご本人に伺うことが一番です。基本的な方法を勉強するチャンスがあったらぜひ体験していただきたいですが、介助方法が違う場合もあるので「どうお手伝いすればよろしいですか」と謙虚に聞いたほうが良いと思います。こちらの知識や方法を押し付けないことも大切です。そして、無理をしてやらないこと。せっかくの好意が相手の方にとって危険だったり自分が怪我をしたりするようでは意味がありません。基本は〔出来るときに出来ることを出来るだけ〕です。電車の中でお年よりに席を譲ることと、車椅子を四人がかりで駅のホームへ運ぶこと・・大きな違いがあるように見えますが心の豊かさは同じです。それが何より素晴らしいと思うのです。

今回もありがとうございました、またお目にかかります。

(ひだまり日記 2003年元旦号掲載分)
by hidamari-blog | 2003-01-01 10:55 | 子どもたち
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