聾という障害を理解していただきたいのです・・・
先天性聴覚障害者(聾者と表します)についてお話したいと思います。
長くひだまり日記をお読みいただいている方はご存知だと思いますが、私が福祉といわれるこの世界に入るきっかけは一人の聾者Sさんとの出会いでした。私は彼女と話したかったので独学で手話を学びました。片言のときからSさんと話し「聾者」の生活を知り、「あなたのことは信じるけど、地域のことは信じない」という言葉にとてもショックを受けました。 そのときから私は「地域」にこだわって活動してきました。同時に手話に頼るしかない聾者に私は何が出来るのかを考えてきました。聾者の集いの場を作り、介護・救急・料理・栄養・文章のことなどを手話で学ぶ講習会を行ってきました。友人達のための手話通訳もしています。 健聴者の多くは聾者とは「耳が聞こえない障害」だと思っていらっしゃると思います。聾者の場合は「聞こえない」だけではありません。 健聴者は赤ちゃんのときに人の声を聞いて言葉を覚え、自分の声を聞いて正しい発音や声の大きさを知るのです。聾者は音を知らずに育つので、発声そのもの・正確な発音で話すことが難しいです。これが「話せない」障害です。 が、もっと厳しいのが二次障害といわれるものです。その一つが「情報不足からくる健聴者社会とのギャップ」です。耳から得る情報というのは想像以上のものです。例えば、お腹がすいたとき「ぐーっ」となること・トイレをするときに音がすること・食器がぶつかると音がすることなどを彼らは知りません。後ろから車や自転車が来ていてもクラクションが聞こえないから避けようともしません。そういうときに人が嫌な感じを持つことなど想像できません。人がそのことで眉をひそめているのだとは思いませんから、健聴者のそういう表情を見ると「聾者を嫌っている」と思い込みます。 健聴者にしてみれば聾は見て分かる障害ではないから、その音を出している人が聾者だとは思いません。聾者だと分かったとき「聾者は図々しい」と思われてしまいます。。健聴者は当然知っている「音のトラブル」は彼らには理解しにくいものなのです。 もう一つの二次障害。健聴者が物を考えるとき、頭の中で自分の声で文章を話しているでしょう?聾者は「手話を動く映像として頭に描いて」考えているのです。アメリカ人が英語で物を考えるのと同じように、聾者は「手話語」で物を考えているのです。手話は単語で「て・に・を・は」がありません。助詞の重要性は手話を学ぶと分かります。つまり、筆談は出来ると思っても、聾者にとっては非常に難しいものなのです。健聴者の語彙数と手話では雲泥の差があって、書かれた文章を必死で手話に置き換えても、書かれた内容の十分の一ぐらいしか読み取れないかもしれません。聾者と社会のトラブルの多くはこのことが原因なのではないかと感じています。筆談される場合は「簡単に・絵や図を入れて書く」ようにしてください。職場・医療・教育などの現場で聾者と関られる読者の方がいらっしゃいましたら、このことをご理解ください、そして周りの方にもお伝えください。 手話がブームになって久しいです。手話に抵抗が無いのだととらえることも出来るかもしれないですが、彼らが戦前戦後、障害者に対する無理解・蔑視の中で人目を避けて「自分たちの言語」として必死で守った「手話」です。国際障害者年を境にテレビなどで取り上げられ急に日の目を浴びたといわれます。 手話サークルに長年通っていても聾者と話したことがないという方がいらっしゃいます。困っている聴覚障害者がいたらお手伝いしたいと思っていらっしゃるでしょう。聾者が頑なで「私は聾者です。手を貸してください」と伝えないし、見えない障害だから街中で声を掛けられないということもあるでしょう。どうか、なぜそうなってしまったのか、彼らのたどってきた歴史と聾という障害をご理解いただいきたいと思います。手話と関わることがある方はこのことをいつも心の隅においていただきたいです。 *手話を使う聴覚障害者はほんの一部です。中途失聴者や難聴者、健聴者家族の中で育った聾者は手話を知らない可能性が高いです。その方に合ったコミュニケーション手段を選んでください。
by hidamari-blog
| 2006-10-25 20:23
| 聾者
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